アメブロを始めた当初は、さほど登録者数も多くなく、

「まあ、ホームページに毛が生えたのがブログだろう。」

と、わずかながら冷笑まじりにスタートさせたものでした。

ところがどうして、かつて必死な思いで学んだHTMLやCSS、
Java Scriptはいったいなんだったの!!

と感じるほどの使い勝手。当時、同時に作成・発信をしていた
せっかくのマイホームページを更新する気力も萎えさせるほど
お気楽第一のブログの魅力にすっかり心を奪われ、いまではあの
ホームページのケリのつけ方を考えるようになった管理人であります。
(5月9日現在、再び発信作業検討中)

これだけの使い勝手を提供してくれるブログの存在は、当然ながら
新たな参入者を呼び、アメブロに関しては更新の滞りも含めても

20万ブログ

も存在するじゃありませぬか。いやはや、たった半年で、20倍以上の
増加に驚愕し、驚嘆する毎日であります。

しかしながら、皆様も同じ心境に陥ったことがあると思い、
申し上げるのであります。それは

ブログ更新に疲れたことがあるか!?

という問題であります。
かれこれ半年もブログ生活(別にこれで生活してはいないのだが....)を
しておりますと、ある種の

「倦怠期」

とでも言いましょうか、実生活でいうならば、この4月より新生活
を迎えられた方に起こりうる「五月病」
という「心の病」にむしばまれそうになることがあります。

ブログの更新、特にアメブロにおいて、一般的に最も楽しみな3つは
おそらく

① コメントをもらうこと
② 読者がつくこと
③ ランキングがあること

ではないでしょうか。

①のコメントをもらうことについては、特に初めていただくコメントでは、
ブログのやりがい、書きがい、送りがいの3つの「がい」を
最も強烈に感じる瞬間です。そして、コメントをいただけることに加え、
そのコメントを下さる方の多くは、同時に
自身の読者である可能性が極めて高いはずです。
あるいは、順番が逆の場合もあるでしょう。
コメントや読者の増加は、アメブロの場合、

ランキング

に影響を与えます。現在は、純粋に訪問者数の数によりランキングを決めており、
同じ訪問者が1日に3回、4回と自ブログにやってきても、1回として扱う
「ユニークアクセス数」という方法により集計をしています。
この方法は現状ではおおむね好評であると感じます。


さて、先ほどの「倦怠期」は、ブログの3つの楽しみの延長線上に位置します。
諸刃の剣といった方が適切かもしれません。

① コメントをもらうこと
② 読者がつくこと
③ ランキングがあること



① コメントをもらうことのマイナス要素

問題は、いただくコメントの内容でしょう。ブログは日記のような感覚で発信を
すると、とんでもない災難に遭遇するおそれがあります。
プライベート日記との軽い気持ちでせっせとブログを作成・発信したところ、
本来は楽しみなはずのコメントが、思いもよらない誹謗・中傷にあう場合です。
このような場合、相手のほとんどは自分のアドレスを知らせていません。
ところが、ここでブログ発信者がついつい向きになることがあり、これが
奈落に落ちる第一歩です。術中にはまった典型的なパターンです。
ブログ発信者は、記事を発信した段階で、これらの投稿を予期しておく必要が
あります。インターネットの興味深い点のひとつは、「ホンネ」です。
投稿は、アドレスを知らせないからこそできる「ホンネ」を聞き出す絶好の機会です。
また、相手がアドレスを知らせていないことに憤りを感じる場合、
ブログ発信者自身も、多くは身元を明らかにしていないことに注目しなければ
なりません。
ブログは、記事発信するまでは一方通行であるにもかかわらず、発信した瞬間、
双方向へと変わります。そこがブログの魅力です。
辛いコメントはつきものですが、「大人の対応」を心掛ける度量は持っていて
しかるべきです。無視するなり、返事をするなり自由ですが、「戦闘モード」に
突入した場合、最も冷めるのは他の読者です。
読者はたまに味方になってくれる場合がありますが、時として、
火に油を注ぐ結果を招くおそれがあります。それは、ブログ発信者がその行為を
望まないときです。また、味方になってコメントの助っ人をかって出ると、
逆に自分のブログに飛び火してしまう恐れも大いにあります。
荒られそうなブログにどう対応するのかは当事者のみならず、読者にも関係
することがありますので、十分な注意が必要です。


② 読者がつくことのマイナス要素

個人差はありますが、案外ヘコむのが、読者が減ることです。例えば、お店を経営して
いて、お得意さんが黙って去ってしまうのは非常に辛いことです。
いちいちくよくよするのもどうかとは思いますが、なぜ去ってしまったのかの理由が
読者側にあるのか、ブログ発信者側にあるのかは知っておいて損はないと思います。




③ ランキングがあることのマイナス要素

「ランキング」というのは、非常に刺激的なものではあるのでしょう。
4月にアメブロがリニューアルした時に使いにくさの記事を目撃しましたが、
僕に関しては静観していました。それは、記事の作成段階ををまずWindows のメモ帳に
下書きし、完成させたものをコピー&ペーストするだけの従来の方法が、
リニューアル版に影響しなかったからかもしれないこと以上に、

ランキングの参加・不参加の選択が可能である点に尽きます。

ランキング制度は、確かにより多くの方に見てもらえる点において、
最高のアイテムです。
当然、コメントも読者登録も期待できます。
しかしながら、僕にとっては大変な苦痛を伴いました。
それは、ランキングのために記事を書いているような自分が嫌になったこと、
そして、ブログ開始以来マメに行ってきた「読者訪問」の機会が
激減しつつあったこと、
または、コメントの持つ諸刃の剣的威力

以上3つからくる「倦怠期」です。


実際に3月に「倦怠期」になり、大変困っていたところ、
4月のランキング不参加の選択は非常にありがたいものでした。
おかげさまで、4月は3月とは違った気持ちでブログ発信ができました。


以上のように自分を持ち上げ、あるいは持ち下げながら述べたいことを
述べましたが、何が言いたいのかと申しますと、

4月の心機一転により、再び他ブログ様へ訪問する機会ができ、感じたこと
として、


記事発信に義務感を感じるブログが見られること

です。

やはり、なんらかの目的があってブログの参加を決めたはずであり、
それは前向きな目的で始めたのだと思います。

その記事発信者が義務や強迫観念を持つようになると、特に文章づくりという
作業は、一方である種のストレスを伴う面を持ち合わせます。
そのストレスを打ち消すものがブログ発信やコメント、読者登録、ランキング
です。
しかし、ストレスがそれらを上回ってしまった場合、案外本人はそれに
気づかないことが多く、逆に読み手側が敏感にそれを感じてしまうことが
あります、というよりは読み手の方が察知しやすいものです。

そういった「義務感」「ストレス過多」
に陥ってしまったブログの多くは、突如として更新が途絶えます。

ブログには義務やノルマは必要ありません。
書きたいときに書けばいいし、休みたいときに休めばいい。
コメントやランキングのせいでストレスを感じるのであれば、
コメントを受け付けなければいいし、ランキングをやめればいい。
喜怒哀楽はさまざまですが、
ブログは「喜」であり、「楽」であることがなによりです。
「怒」や「哀」を発信するときも、自身の中では常に「遊び」を
持っていて欲しい、


心が疲れたときは、ブログなんて忘れしまおう。

しかし、こうは言ったものの
来月はランキングに参加してみようかしら.....



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第18回三島由紀夫賞候補作品   5月17日受賞作決定予定

・「悪意の手記」  中村文則   「新潮」2004年5月号    
・「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」  本谷有希子   「群像」2004年12月号    
・「クレーターのほとりで」  青木淳悟   「新潮」2004年10月号    
・「六○○○度の愛」  鹿島田真希   「新潮」2004年2月号    
・ 「となり町戦争」  三崎亜記      
・「明るい夜」  黒川創   「文學界」2005年4月号


第18回 山本周五郎賞候補作品    5月17日受賞作決定予定

・ 「チルドレン」  伊坂幸太郎    
・ 「私が語りはじめた彼は」  三浦しをん    
・ 「明日の記憶」  荻原 浩    
・ 「ナラタージュ」  島本理生    
・ 「君たちに明日はない」  垣根涼介