本の話題に歴史の話題を持ち出すと、しばしば明確な拒否反応を
示す友人がいるため、自ブログ内でも
「拒否反応が出ました。」
とお小言を頂戴するのではないかと、記事作成中にもかかわらず、ある種の
ファイティングポーズを念頭に置いている今日の管理人。

仕事・旅行等で地方を訪問する時には、その地にまつわる小説のペーパーバック版
を持参するのはもちろんのこと、歴史に関する下調べも事前に行うことを
習慣にしております。

しかしながら、歴史にまつわる話というのは、現在に近ければ近いほど、
さまざまな生きた証言や資料が飛び交って、独自に解釈することは大仕事。
特に
「激動の昭和時代」
を学ぼうとするならば、現行のメディア同士においても反則すれすれの
暴言、雑言まじりのののしりあいが展開され、
特に、中国における反日感情を取り扱う各マスコミの姿勢は悪い言葉ではありますが
至極面白い。

大手新聞社では
強硬・保守的論調では部数は少ないものの、サンケイ新聞のストレートな記事は
非常にパワフルです。読売新聞も保守的な姿勢でおなじみ。

一方、
「冷静に!」「話し合いを!」
と協調路線をとるのが朝日新聞、毎日新聞。

そのため、社説などを追っていくと、
サンケイ新聞 vs 朝日新聞「ケンカ」が目立ちます。内容は歴史認識を中心とした「ケンカ」であり、ただいま
泥沼状態であります。
SBIの北尾氏にホワイトナイトを頼もうかしら???

さて、そんな管理人はサンケイ新聞愛読者。でも、性格は強硬派ではありません。
あしからず。



なんだか話がややこしい「昭和史」ですが、初心者にはこちら。

半藤一利著 「昭和史」

が無難な路線です。

「まことに情けないかぎりでございます。」
「アホな戦争」

という視点は、僕の愛読紙「サンケイ新聞」とは対峙する考え方となりますが、
実はこの書、
ごく身近な出版編集者に向けた氏の昭和史講座を出版したものなのです。
あとがきによると、編集者が氏に教えを請うたところ、すこぶる評判がよく、
本として商業出版されることになったとのこと。

昭和史に疎い生徒達(大人だが...)に向け、彼らをあきさせないように
柔らかく噛み砕き、講談口調に講義したものをさらに読者向けに加筆・修正をした

「昭和史よもやま話」
「昭和史漫談」

に仕上がったこの講義の最大のポイントは

「歴史から学ぶべきこと」

です。その中でも特に太平洋戦争に至るまでの経緯を多くの文献、歴史書を引用
しながら、さらに自身の意見も混ぜての講釈・解釈は
歴史音痴の鼻をピクピクさせるもの。

その基本的なスタンスは

「二度と戦争を起こさないこと。」

です。
氏の講義中、時々小泉政権を昭和史の政治と比較することがあります。
要するに、自衛隊問題、イラク問題、歴史問題、靖国問題に対する方針を批判し
ながら、それはあの時代の昭和史とそっくりだと数十年後のわが国を憂慮しています。
このあたりから考えるに、朝日・毎日新聞寄りの姿勢がうかがえます。
そして、氏の憂慮する道に日本が進まないためにも、

「歴史から学ぶべきこと」

として、文中において昭和史の最初の20年が示してくれた教訓を5つ挙げています。
そのなかの1つに

「国際的常識を日本人はまったく理解していない」

という教訓を提示しているのですが、これに関して少し話がそれてしまうのですが、
多少便上するのであれば、

地理の問題、つまり「島国」という隔離された環境により、ある一定の事象について、
固定化された考えから脱却するすべがよくわからないのが日本であるような気がします。

その一定の事象をここでは「異文化」に求めるのですが、例えば
コミュニケーションという表現自体は受け入れる姿勢を特に若者を中心に
我々は持ち合わせます。
ところが、「異文化」の、特に「異」という言葉に日本人はあまりにも敏感です。

例えば、日本民族でない民族、つまり外国人が歩いていた場合、
多くの日本人は珍しげに彼または彼女へ視線を向けます。

例えば、人と違った意見を持つと、大勢はその人を変人扱いします。
ここでは大勢は「和」を形成します。一方、
変人扱いされた人は「異」になってしまわないように、自分の意見を殺して
「和」に入るか、それとも究極の「異」をめざすかの二者択一となりますが、
ほとんどは「和」を選びます。もし「異」を選べば、周囲とはやっていけなくなる
からです。
よく、子供を持つ親、特に母親が世間体を気にするのは、井戸端会議によくある
特定の他人への侮蔑的な扱いと、その仲間づくりのための「和」の形成がきっかけ
です。

   和和和
   和和和    ⇔    異
   和和和
   和和和


太平洋戦争に至るにおいて、日本に起きた出来事は上記のようなことです。
最初はいろいろな意見を持つ人達がいたのですが、時代が進むにつれ、
「和」の数が増え出しました。そして、「異」「和」に思想変えし、または
真の思想を隠すか、「異」を貫くかでした。
「異」を貫いた人は最終的には孤立し、または
「和」による攻撃により表舞台から去る結果となりました。


しかし、「異」が99人いて、「和」が1人だったなら、どうなるかというと、
「異」が正解で、「和」が異端であるということになります。

つまり、何が言いたいかといえば、
新聞なり、テレビなり、ブログなり、友人なり、人はさまざまなものに影響されます。
そして影響されると、人は誰かにその思想を教えます。教えられた人は別の誰かに
その思想を教えます。そうしてひとつの集団や派閥ができあがると、仲間が増えた
ことに安心するばかりでなく、
集団や数だけを理由にその意見・思想が正しいと
解釈してしまいます。すると少数派は不安になってしまい、集団や数という理由のみで
「彼らが正しい」
と答えを導いてしまいます。
特に日本の社会集団や生活、学校ではこういう考え方がしみついています。

他人への迷惑を除けば
別に異端児と言われても、それは「個性」ともなるわけで、
それが自信につながることもあれば、人生の武器になることもあります。


「国際的常識を日本人はまったく理解していない」
という半藤氏の教訓は、僕の解釈では以上のような島国という環境から来る
「異文化」への既存勢力の持つ拒否反応を前提に、「異」に対して拒否反応を示す
「和」の人間に対する教訓として用いられる言葉のように感じました。
そして、それらの固定観念を自らが破れないのであれば、他から破ってもらう
しかありません。自らが破れないのであれば......。



「大が小を制するときの大は、ほとんどの場合において以前は小であった。
 残った小が生きる道は大に変更するか、小を貫くかだが、昔も今も日本
 という国は精神的に特別異なった点はない。それは異を嫌がる国だからである。」


やっぱり話がそれました。
しかし、「昭和史」から得られることは、思いのほか、たくさんあることは
否定できません。それが歴史音痴の方にとってもです。
著者: 半藤 一利
タイトル: 昭和史 1926-1945