takam16の本の棚
です。バーチャルですが......


  
石原慎太郎はいつになったら芥川賞受賞作を誉めるのか


いつもおかんむりである。
つまらない質問には一喝する。
そして質問者はビビる。

テレビでよく拝見する石原慎太郎東京都知事の僕の昨今の印象である。
否定的な印象ばかりを並べてしまい恐縮なので、
好印象な部分も述べておこう。

物事ははっきり言う。


なかなか物事を遠まわしにぼかす多勢とは違う。バサリと斬って、
気持ちいい。

ああ、政治家として活躍しているのだなぁと田原総一郎氏との討論などを
見ていると第一に感じるのだが、ふと彼は作家だったのだと思い出させて
くれることがある。
その象徴的なものが、芥川賞選考委員としての彼の選評記事である。

芥川賞の発表は、年2回雑誌「文藝春秋」の3月号、9月号に掲載される。
受賞作品とその著者の感想、そして現在9名の手厳しい選考委員
による選評記事がある。
ちなみに直木賞に関しては雑誌「オール読物」の3、9月号が詳しい。

現在の海千山千かつ多士済々の選考委員達を紹介する。

黒井千次
石原慎太郎
山田詠美
村上龍
河野多恵子
宮本輝
池澤夏樹
高樹のぶ子
三浦哲郎

選考委員は辞退や死がなければ、生涯選考委員である。

彼らはいつも築地の「新喜楽」で約2時間の協議をするそうなのだが、
はたして「新喜楽」の文字通りの話し合いが行われているかは
はなはだ疑問である。おそらく、ツバが相手の頬に飛ぶほどの活発な
意見交換が行われていることは選評から想像がつく。

さて、再び石原慎太郎氏である。メディアへの顔見せも多く、個性も溢れて
いるため、彼の選評は他の方より個人的に興味がある。
最近の記憶では彼はどの受賞作もどの候補作も誉めたためしがない。
というわけで大学図書館へ出向き、ちょっくら調査した。

「石原慎太郎はいつになったら芥川賞受賞作を誉めるのか。」


つい最近の芥川賞での選評はこうだった。
今回の候補作の水準は総じて高いものだとは言えそうにない。第一
それぞれの作品の題名からして安易で、語るに落ちるといったものが
多かった。

キビシ~。ちなみに今受賞作は 「土の中の子供」の中村文則氏だったが、
以前石原氏は2003年3月の中村氏の候補作「銃」について

候補作の中で唯一、中村文則氏の「銃」を最後まで面白く読んだ。
恐らくこれからの作品でも発揮され、作家としての存在感を示すように
なるに違いない

きっぱり断言した。彼の得意技だ。その力量が落ちたというのが本作か。
というのも、石原氏は作品としての魅力に作家としての成長を交えた評価を
する傾向がある。過去の候補作との比較も逃さない。
ここでは誉めはした。しかし受賞作への評価はやはり辛かった。

結果として受賞とはなった「しょっぱいドライブ」なる作品には、少なくとも
私は何の感動も衝撃も感じなかった。

前回(2005年3月)の受賞作「グランド・フィナーレ」の選評はこうだ。

私は全く評価できなかった。

モブノリオの「介護入門」でも

私は全く評価しなかった
だ。全体評も
今日の選考は猛暑の故の夏枯れとしかいいようがなかった

おほほほ。そういやどうした、モブは?

話題をふりまいた綿矢&金原作品については特に、「虹にピアス」について

私には現代の若者のピアスや入れ墨といった肉体に付着する装飾への執着の
意味合いが本質的に理解できない


石原氏は今、未来の日本を懸念している。そして、文学に対してはその懸念が
ますます増幅しているようだ。よって、その未来を担う若者にどうも合点がいかない。
そして、文学作品に関して常々語っていることは
情報がはびこっている、そして大きくなった現代社会の中で作品を生み出すこと
は不可能であるようなことを述べている。
情報が作品に必要な想像力を奪うということだ。
そして同時に若者への偏見、そして現代社会への偏見が感じ取れる。

石原慎太郎氏も含め、選考基準として重要視しているのは、当時の社会環境・社会情勢に
文学作品を照らし合わせ、著者がそれらをどう文学として表現するかということを
選評においてしばしば論じている。

今まで紹介した芥川賞選評の全文を実際に読むと、石原氏はそれらが見られないことに
おかんむりなのである。

ところが、ついに、誉めるに値する受賞作に遭遇したのが

吉村萬壱さんの「ハリガネムシ」である。

多くの国民がデフレとはいえなんとなく満ち足りた錯覚の内にある時代に、
逆に妙なリアリティがあり、読む者を辟易させながら引きずっていく重い力がある。

やっと出会えたお褒めの言葉。2003年9月度の芥川賞だが、社会情勢と文学を
照らし合わせた選評が良い方向に出たのがこれである。

石原氏が芥川賞選考委員に選ばれたのは1996年3月度(114回)からである。
現在まで欠席なくすべて出席し、選評している。
当時の選評から、文学の衰退を憂え続けながら今日に至るのだが、最初の数年間は
芥川賞受賞作に対し期待を込めた前向きな選評が多かったことは興味深い。

褒めた受賞作品・作家を列挙すると 
・「豚の報い」 又吉 栄喜 (114回)
・「海峡の光」 辻仁成 (116回)
・「ゲルマニウムの夜」   花村萬月   (119回)
・「きれぎれ」   町田康   (123回)
・「聖水」   青来有一   (124回)
・「中陰の花」   玄侑宗久   (125回)  

逆に否定した受賞作品・作家。こちらは石原節も挙げる。
・「虹を踏む」 川上弘美 (115回)
  私には全く評価出来ない。.....こんな代物が歴史ある文学賞を受けてしまう
  ところにも、今日の日本文学の衰弱がうかがえるとしかいいようがない。

・「日蝕」   平野啓一郎   (120回)
  たいそうな前評判であったが私はこの作品にいろいろ基本的な疑義を感じぬわけ
  にはいかない......この現代に、小説を読むのにいちいち漢和辞典を引いて
  読まなくてはならぬというのは文学の鑑賞と本質屁隔たった事態といわざるを得まい。

・「 猛スピードで母は」   長嶋有    (126回)   
  こんな程度の作品を読んで誰がどう心を動かされるというのだろうか。 


そんな石原氏も、かつては昭和30年に「太陽の季節」で芥川賞を受賞している。
文藝春秋で当時の記念写真を確認したのだが、そこには石原氏のほかに2人の
受賞者が写っていた。直木賞を受賞した新田次郎氏、邱永漢氏の大御所と一緒に
写っている石原氏は足を広げ、記念品を片手で持つという態度で、本人がそれについて
芥川賞の重みがよくわからなかったとコメントしているのは非常に興味深かった。


過去の芥川賞選考委員のコメントをすべて拝見するのはあまりにも膨大な時間がかかり
不可能ではあるが、ちょっとした発見もあった。縁起が悪いのかもしれないが、
前述したように芥川賞選考委員は生涯選考委員だと言った。
その出席・欠席状況をチェックしたのだが、
委員を引退するとき、あるいは死が近い選考委員は直前の選考を欠席したり、または
書面回答の確率が非常に高いことに気づく。
選考委員は高齢者が多い。
ここだけの話だが、少し気になった。 

 

★☆★☆★☆ 情報 ・ 受賞 ・ 予定 ★☆★☆★☆

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