takam16の本の棚
です。バーチャルですが......

 読みもしない、頼まれもしない、なのに次期直木賞受賞作を勝手に推理する
などとレベルを疑われかねない記事内容なのだが、
受賞作というものは、おおかたが受賞候補作が発表されてからでも一部の外野が
騒がしくなる程度のもので、本を買う側としては一方的にプロの主観で決められた
受賞作品を読み手が平積みされた本のオビに刻まれた毎度恒例の文句

直木賞受賞作

の平積みを本屋で見ることで、はじめて買おうかなという錯覚に陥り、
購入したあげく読む時間もない。するとつまみ食いのごとくちょびちょび読み進めながら
も、受賞作品を読んだことへの達成感が先行してしまい、つい感極まって

「さすがは直木賞受賞作」

などとおっしゃる。お前は生きたオビかとツッコミたくなる自分を抑えながらも

「そうそう、さすがは...」

などと八方美人ぶりをかもし出す自分がいるのもなんだか情けない。

書店勤務時代には自分はその一角を担っていた。「直木賞」の文句だけで売上がグンと伸びる
わけだから、苦境の書店もなんとかその場をしのぐことができる。ただし、あくまでも
直木賞作品が自分の店頭に並べばの話である。
中小書店などで働いていると、まあこういうチャンピョンベルトを引っさげた書籍を
入手するなどというのは、箸を足の指を使ってご飯を食べるくらい困難なことだ。
せいぜい、受賞発表から1ヶ月以上後しなければそのチャンピョン達はやってこない。
だったら、いっそのこと

「私たちは受賞作品は置かない主義です。」

と腹をくくるのも悪くないが、多くの書店の現状は

「広く、浅く」

である。あれも置きたい、これも置きたいという思想がつまらない書店をアメーバ化する。
そこには、店の、店主の不安感がはっきりと見てとれる。売れるものをあえて置かない
なんて、そんなことぁ~拙者にはできませぬ、売上が下がっちゃあウチらはやっていけないだす、
というわけだ。その不安感、非常にわかる。

そんな管理人もそんな中途半端な書店で仕入れの仕事をしていたものだから、
直木賞作品はカネのなる木のひとつだと思った。
でも直木賞が決まってから注文したのでは時すでに遅し。
てなわけで受賞作予想や候補作予想というもので傾向と対策はよく練った。
勝手に「赤本」状態だ。

しかし書店の仕事から離れると、純粋に楽しむ意味での受賞作予想なんてものに興味がわいてきた。
仕事では「苦」を伴うのだが、その責任から逃れると、予想がとっても「楽」になる。
人生そういうものだ。



さて、直木賞は文藝春秋社の土俵の上に作られた賞である。
前回、
文藝春秋社が候補作に選ばれる確率  100%。

と記した。過去20年のデータである。
その100%の候補作の中で、じゃあ実際に受賞した確率はどうかと調べたところ、

過去20年で文芸春秋社が受賞した確率 57.5%

である。ならもっと近視眼的になろう。
過去10年で文芸春秋社が受賞した確率 50%
過去10年で文芸春秋社が受賞した確率 80%

の数字だ。ちなみにこれらの統計は、例えばその年に受賞候補作が当該出版社から
2作選ばれてもそれは1で計算しており、受賞作が当該出版社から2作出ても1で
計算していることを付け加えておく。

とにかく、最近の5年間の80%は驚異的な数字だ。
対象は124回から133回であり、その中で128回は該当作品なしである。
ということは、5年間で他の出版社が受賞したのは、130回の

江国香織 「号泣する準備はできていた」(新潮社)
京極夏彦 「後巷説百物語」(角川書店)

のみである(注:この時は2作が受賞)。
ならば確率は90%近くまで上昇する。

ふとその130回の受賞候補作が気になった。以下に列挙すると


・江國香織    『号泣する準備はできていた』  新潮社
・京極夏彦    『後巷説百物語』        角川書店
・朱川湊人    『都市伝説セピア』      文藝春秋
・馳 星周    『生誕祭』          文藝春秋
・姫野カオルコ  『ツ、イ、ラ、ク』      角川書店


その中で気になったのは「身内」である文藝春秋社の2作品。
最新の直木賞受賞作家朱川湊人氏は初めてのノミネートであった。
一方の馳星周氏は8回ぶり4度目のノミネート。

「身内」が2作品も出ているのに、賞を獲ったのは他出版社なのかと
ぼーっと資料を眺めていたのだが、ちょっと待てよと思案した。

「身内」の文藝春秋社の発行にもかかわらず賞を獲れなかった朱川湊人氏と
馳星周氏。前者は先ごろ「花まんま」で見事受賞者の仲間入りを果たした。
出版社はもちろん文藝春秋、2度候補作の2度とも文藝春秋、2度目での受賞である。
一方の馳星周氏の過去の候補作と出版社を見てみよう。

116回 「不夜城」 角川書店
120回 「夜光虫」 角川書店
122回 「M」   文藝春秋
130回 「生誕祭」 文藝春秋


「身内」の恩恵を受けながら、2度もそのチャンスを逃した。こういう場合、
果たして「3度目の正直」があるのだろうかと考えた。
つまりは、

文藝春秋で過去2回候補作になりながら受賞できなかった作家が同じ文藝春秋で
三度(みたび)以上候補作に選ばれ、
そして、それが受賞することができるのか。


2度もチャンスを与えられたのだ。それなのに最終選考で落とされた「身内」の
作品を同じ「身内」がどう扱うのかに興味が沸いた。

94回から133回の20年間で気になるデータを探し、以下に記載した。

馳星周  
116回 『不夜城』 角川書店
120回 『夜光虫』 角川書店
122回 『M』   文藝春秋
133回 『生誕祭』 文藝春秋  以上

宇江佐真理
117回 『幻の声』     文藝春秋
119回 『桜花を見た』   雑誌別冊文藝春秋
121回 『紫紺のつばめ』  文藝春秋
123回 『雷桜』      角川書店
127回 『斬られ権佐』   集英社
129回 『神田堀八つ下がり』徳間書店 以上

黒川博行
116回 『カウント・プラン』 文藝春秋
117回 『疫病神』      新潮社
121回 『文福茶釜』     文藝春秋
126回 『国境』       講談社  以上

横山秀夫
120回 『陰の季節』  文藝春秋
124回 『動機』    文藝春秋
128回 『半落ち』   講談社  以上

東郷隆
104回 『水阿弥陀仏』他  東京書籍
106回 「猫間」      雑誌別冊文藝春秋
108回 『打てや叩けや』  新潮社
111回 『終りみだれぬ』  文藝春秋
113回 『そは何者』    雑誌別冊文藝春秋
119回 『洛中の露』    新潮社      以上

小嵐九八郎
106回 『鉄塔の泣く街』 実業之日本社
108回 『清十郎』    文藝春秋
110回 『おらホの選挙』 講談社
112回 「風が呼んでる」 雑誌オール讀物(文藝春秋発行) 以上

阿久 悠
82回 『瀬戸内少年野球団』 文藝春秋
99回 『喝采』       文藝春秋
101回『墨ぬり少年オペラ』 文藝春秋 以上




また、泡坂妻夫氏については、文藝春秋で3度落とされ、103回に新潮社で
受賞している。

20年間の中で1つだけ文藝春秋として何度も候補に挙がった結果、「身内」で受賞
できたのは

赤瀬川隼の『白球残映』(113回)、そして
白石一郎の『海狼伝』(97回)の2つである。

以上より過去20年間で2度文藝春秋社より刊行・発表された作品が直木賞候補作に
選ばれながら落選した場合、その後同じ文藝春秋社でノミネートされ、受賞する確率は

22%。

実は30年も40年も前であれば、渡辺淳一氏や藤沢周平氏などは文藝春秋で何度も
ノミネートされながら、落ちまくったが、最終的には文藝春秋で受賞しており、
他にもいくつか見られ、昔ほどこの確率は高いのであるが、
最近に近づけばこの確率はゼロになってしまう。


過去20年間に限定すると、22%、
過去10年間では     0%
過去5年間でも      0%


かつては雑誌連載作品のノミネートが多かったが、徐々にその傾向はなくなり、
雑誌連載後、単行本になったものが候補に挙がるようになったのも確率が下がった
理由の1つであろうか。


以上より、記載した作家は次に「身内」である文藝春秋より発売・発表された作品が
候補作に選ばれようが、彼らが直木賞作家になることは非常に困難なことである。



今回は消去法でござんした。