takam16の本の棚
です。バーチャルですが......
 本の話でウダウダ言ってきた当管理人であるが、
こう見えても、旅の仕事をしていた過去を持つ。
特に土日・祝日・大型連休にはツアーコンダクターという任務も
あったわけで、一般的に人気のある名所にはご縁があった。
残念なことは海外添乗の機会が研修のみであった点で、悔いは残っている。

大型連休といえば、ゴールデンウィーク、お盆休み、そして年末年始がある
のだが、今回思い出したのはゴールデンウィークの方だ。

西日本では以前より本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が有名であったが、新たな
連絡橋ということで、兵庫県の明石と淡路島を結ぶ明石海峡大橋が完成した。
1998年のことである。すると、旅行会社としては当然この2つの橋を
利用したツアーを組むことに躍起になる。

ゴールデンウィークの5月3日、そして5月5日は香川県の琴平にある金毘羅宮
でそれぞれ憲法記念祭、子供祭などと呼ばれる催しが行われる。
これを利用して

「明石海峡を渡って金毘羅、土佐、鳴門の渦潮を巡る旅」

という1泊2日のツアーを2回連続で行かされる...いや、行くことになった。
行程はこうだ。


1日目。
朝7時30分。大阪をバスで出発し、高速道路で一気に岡山県。瀬戸大橋を渡って
四国の玄関口、坂出のインターチェンジを降りて門前町の琴平で讃岐うどんで腹ごしらえ。
お昼ごはんである。
食後は専門ガイド付きで金毘羅宮へ登る。登るというのは、その場へ辿り着くには
1368段ものかつ、中途半端な幅の石段を登って参拝するというわけだ。
この時点で参加者もtakam16も皆が全体力を使い果たす。
参拝後、今度は南へ下って土佐の高知市内で宿泊だ。高知県は病院の数の多さで有名だ。
気休めに出た夜の食事にかつおのたたきも今日はもういい。お疲れだ。早く寝る。
しかしながら夜中中救急車のけたたましい
サイレンで落ち着かない。

2日目。
朝7時40分にホテルを出る。とにかく出発が早過ぎる。向かう先は桂浜。坂本竜馬の銅像が
そびえ立つものの、お客は早過ぎる像とのご対面に心に記憶がうまく焼く付かないらしい。
そのあと、午後の目的である徳島は鳴門の渦潮を見るのだが、その道の途中、祖谷(いや)渓
という観光地がある。祖谷のかずら橋というけっこう揺れを感じる女子供にはスリルが期待できる
シロモノだ。そして鳴門の渦潮を見学後、いざ明石海峡大橋である。横浜などにも夜にふさわしい
橋があるが、明石海峡大橋の夜のライトアップも悪くない(完成当時)。
そこから大阪までは道が混んでいなければ1時間15分で帰着である。到着は夜8時50分。

というのがこのツアー内容。ところがこれをGWに行ったとなるといったいどのようなことに
なるかは想像していただければわかるはずだ。


お客は皆、金毘羅宮で繁栄や仕事運、健康や平安をお祈りしたのだろうが、takam16の祈りは
ただひとつ。早くホテルに着きますように、そして早く帰れますようにである。
なのにどこへ行った、神とやらは!! 結果は散々であった。
GWにバス旅行などもってのほかだ。ホテル着が9時を過ぎ、大阪への帰りは夜中の2時だ。
お客はそんな真夜中に大阪に着かれても困る。もう電車は走ってないのだ。
そして連続で同じツアーの仕事なわけだ。家に帰るのは夜中の3時。すぐに次のための準備を
して再び家を出るのは朝の5時。
顔色の悪い、目の下にクマをたっぷり仕込んだ添乗員にお客が好意など抱くわけがない。
ああ、お疲れだ。


金毘羅の話をしようと思ったのが、ついつい強行ツアーの不愉快な思い出をタラタラと語ってしまい、

「あいすみません」

なのだが、つまりは何のお話をするかというと、
宮部みゆきの「孤宿の人」を読む機会があったから紹介と感想を書きたかっただけなのだ。

この物語、讃岐国(今の香川県)の丸亀藩がモデルなのだ。 そして、「あいすみません」は宮部時代ミステリーに頻繁に登場する会話のひとつ。 出版社の新人物往来社のHP をご覧いただければ わかるのだが、 悲しいお話なのですが 悲しいだけではない作品に したいと思い書きあげました とはご本人のメッセージである。 簡単に言えば、主人公で10歳になる「ほう」がある事件にからむ重要なことを目撃してしまった ことから話が始まる「殺し」がからむ「ほう」の成長物語である。 成長物語のみで勝負をしてしまえばそれで事無きを得るのだろうが、そうは「みゆき」がおろさない のが著者である。そして読者もそれでは困るのである。だからこその上下巻である。 江戸時代の庶民の暮らしぶりを摩訶不思議な事件や出来事とうまくからませながら話を進める のは著者の得意とするところである。 文中でしばしば見かける人間の性の講釈を大事に説明する点も健在である。 しかしながら先述の宮部氏の言葉にもあるように、 笑うには多少難儀する場所、例えば電車の中や待合室といった向かいや隣に他人がいるような ところで 「ぷぅ~。」 とふきだしそうになるシーンというのは滅法少ない。 それはシリーズ物である「ぼんくら」「日暮らし」との比較がそうさせるのかもしれない。 あちらの主人公はなんだかぐうたらなイメージがつきまとう主人公だった。 しかし、こちらの主人公「ほう」は子供であるゆえ世間の良し悪しがまだわからない年頃だ。 よって、人間臭さが醸しだされる方が読み手としては面白い。 だから、なにも知らずにただ笑いを期待するととんだうっちゃりをかまされる。 だから出版社のHPを案内した。 しかし、成長物語とは言っても、子供にずうっと視点をあててばかりいると飽きる読者もいる はずだ。そこで、宮部氏得意の江戸時代のお役人や庶民などキャラの強い人物達をしばしば 登場させ、人間相関図による楽しみを提供し、また彼らの視点で話を進めることも惜しんでいない。 時代考察としても江戸の下町と違い、ここは讃岐だ。役所の役割の江戸との違いの説明もふ~ん と思わせる。 摩訶不思議な事件の数々と脇役である大人たち、その中で特別強烈な個性を持たない「ほう」 が成長してゆくのである。 ドラマなどでよくある右も左もよくわからない新人俳優・女優を多士済々の名優達とストーリーが さりげなく助けることで徐々に花開き、 クライマックスに近づくにつれ、視聴率がぐんと伸びるような時代モノ、 それが本書のような印象だ。 また、初出に注目してみるのも面白い。 「ぼんくら」「日暮らし」は講談社の小説現代の連載が単行本になったものだ。 小説現代のモットーは、 「愉楽の追求」 である。 一方の「孤宿の人」は歴史読本での連載が単行本になっている。 あくまでも主役は歴史であり、その中で特定のテーマを抽出した読みごたえ抜群 かつ、歴史の考察もしっかりと追求するディープな雑誌である。 「愉楽」は特別織り込まれてはいない。 出版社側の目指すところの違いがなんだかわかるような一連の宮部みゆき時代ミステリー、 今回は「孤宿の人」でありました。 あいすみません。 「ぼんくら」の感想→こちら 「日暮らし」の感想→こちら