takam16の本の棚
です。バーチャルですが......

 アルバイトの面接において、話に行き詰まったりすることが多々ある。
自分が相手にうまく話させる技術も足りないのだろうが、相手もこんな場面じゃあ
仕方がない。
いささか大げさではあるが、面接というものは生きるか死ぬかの勝負事
というものだ。緊張というものが会話の邪魔をする。

働きたいにもいろいろわけがあろう。
小遣い稼ぎが目的の者もいれば、生活のために食べていかなくちゃあならない
ために働く者もいる。また、どうしてもこの業種で働きたいんですという
嬉しい悩みもある。

例えば本屋さんだ。自給は市町村で定められた最低賃金の法に抵触するか否か
のケチん坊ぶりだ。苦しい台所事情が伝わる業界の1つだ。
しかしながら、そんな激安バイトでも書店で本に囲まれて働きたい人にとっては
現実などどこ吹く風、理想をとことん追求する。大好きな本に囲まれたいと。

しかし冒頭にも述べたとおり、相手は緊張で会話のキャッチボールがぎこちない。
ワンバウンドはおろか、キャッチャーミットにすら届かない。
そこで面接する側は考える。そうだ、履歴書の趣味から話を膨らませようじゃないか。

ところが、この趣味ときたらなんだ。

「音楽鑑賞」
「ショッピング」
「スポーツ観戦」 

そして

「読書」。

このいかにも本屋で働きたいがために自らをアピールする意味の「趣味は読書。」
そこで話は寸断である。ハイおしまい、次の面接の人、である。

しかしながら、履歴書に「趣味は読書。」と書かれてビクともしなかったのに、
本のタイトルに

「趣味は読書。」

と持ってこられちゃあ、ハイおしまいでは済まないのが、趣味が読書である当管理人
である。

  何もかも、タイトルがきっかけの第一歩であることを信じて疑わない当管理人。 さっそく引っ掛かってしまった。歯に衣を着せぬ文章は私に任せなさいということを 読者にいつも訴え続けている(ように感じる)斉藤美奈子さん。 タイトルのきっかけづくりは大成功である。 本の色もいい。黄色だ。目立ちたがり屋の王道を進んでいる。 さて、中身をちょろりと開いてみれば、さっそく出ました。斉藤節。 「さあ、もうおわかりだろう。『趣味は読書。』なんていう酔狂な本を手にしたあなたは...」 ひぇぇぇぇぇ、罠にはまったよ。 美奈子の世界へよ・う・こ・そ。色恋モノかよ。 さて、上は前書きの一部分なのであるが、同じ前書きに次のような区別が登場する。 なお区別の説明箇所は短く変えて記す。 「偏食型の読者」.... 特定のジャンルしか読まないタイプ。 「読書原理主義者」... 本であればなんでもいいし、本なら何でも読めと強要までするタイプ。 「過食型の読者」... 読んだ本についてあれやこれやと論評し、頼まれもしないのにネットで           読書日記を公開するタイプ。 「善良な読者」... 本の質や内容までは問わず、「感動しろ」といわれれば感動するし、「泣け」          といわれれば泣き、「笑え」といわれれば笑うのが欠点で、趣味の欄にも          「読書」と書き、「本を読むのが唯一の楽しみで」と臆せず自己紹介するタイプ。 さあ、皆さんはどれに当てはまる? とここで自分を4つのタイプの中のどれだろうと考えてしまった人は、それこそ美奈子の 世界にどっぷりつかっている。いや、再び罠だ、罠にはまってしまった。 自分も悔しいことにこの罠の餌食になった。 つまり「趣味は読書。」で十分魅せつけておいて、さらに前書きにおいて、読書人の4つの タイプを読み手に差し出した。これぞ我々日本人の多くがいつまでたっても愛してやまない 血液型某やら、水星某・土星某のズバリものやら、動物型某やら星座某といった型に はめ込むやり方であり、これこそが斉藤美奈子氏の思うツボである。うまく利用したものだ。 そしてこれらの著者の物言いを訝しげに感じた方がいるなら、それこそますます 思うツボである。 それが、先述の 「さあ、もうおわかりだろう。『趣味は読書。』なんていう酔狂な本を手にしたあなたは...」 である。 実は本書の中身は平凡社のPR雑誌「月刊百科」の「百万人の読者」という連載の集合体 で、過去のベストセラーについて読者をハラハラドキドキさせながらも痛快に斬りまくる 著者のコラムである。「海辺のカフカ」「大河の一滴」「ハリーポッター」などなど本屋の売上に 貢献してくれた、書店員が努力しなくても売「れる」本を読んでいなくても、私がその内容を 教えて差し上げよう、それで読んだ気にもなるだろう。ただし言いたいことは言わせてもらうと いった類のコラムが40冊分以上集められたシロモノである。 こちらが本書のメインなのであるが、 元来書評や感想などというものは、もしも読書経験のある本であるならまだ付け入るスキは あるものの、 それがわからない者、読んだことのないものにとっては何も心に残りはしない。 よって、残念ながら紹介された約40冊を血眼になって読むような箇所は ほぼ皆無であった。 ブログの書評も同じことだ。少しでも読んでみてはと気配りでも見られない限り、 自分の制空権にかすりもしない本の紹介に何を感じ取ればよいのかがさっぱりわからない。 よって著者の紹介する一連のベストセラー本としてのコラムに触発されたり、感極まるなど という場面に出くわすことは残念ながらなかったのであるが、 実はこのコラムを1冊の本として刊行した時に、訴えかけるポイントを斉藤美奈子氏は 考えた。 最初から1冊の本にすることを念頭に、それも小説ではなくコラムを書くというのは普通は 考えない。 そこでモノを見る角度を変えることを試みた。 読書人分析だ。読書人を4つのタイプにしたのであるが、 さらにその読書の枠をはみ出して考えたのである。 それを著者は「民族」「部族」に例えたのだ。 同じ読書をする民族が、さらに 「偏食型の読者」、「読書原理主義者」、「過食型の読者」、「善良な読者」の4つの部族に分け られるのだ。ある人はベストセラーなんてと蔑み、ある人は本を読めなどと強いる。 一方で本にどっぷりつかるのなんてたくさんだという人だっている。そして読書人という 狭い領域で共感を覚えた者同士で小さな世界を作り出す。 書籍の市場は、数字の上では1兆円。他のレジャー産業の躍進を考えると毎年衰退傾向だ。 そんな年々小さくなってゆく民族の中でさらに部族を作って派閥を作っていったいどうなのさと いうわけだ。 この民族・部族の例えは言ってしまえば著者の最大限の皮肉ではなかろうか。 そして、この読書人の区別も精一杯の我々への皮肉ではなかろうか。 まず、趣味で読書人を分類されることに当管理人はこの国に生まれたことへの安心を感じる。 趣味の区分けであーだこーだ議論が出ること自体が幸せなことである。 他国では趣味といった内面どころか、肌の白黒といった外見のみの判断や、真の意味での 民族、宗教の違いで実際にいがみ合い、憎しみあい、争い、人が死んでいくのだ。 「趣味は読書。」もよくよく考えたら日本に生まれたことにもっと感謝してもいい。 アフリカはどうだ。15歳以上のアフリカの識字率は60%、その最低は13%のブルキナファソだ。 おまけに貧困で彼らは苦しみ、寿命といえば、シエラレオネなどは40俊代が平均だ。 老後はゆっくり読書など、悠長なことは言ってられない。 趣味は読書 ? そんな場合じゃあない。生き抜くことに精一杯なのだ。 本書を知る前に梨木香歩の「村田エフェンディ滞土録」を読んだ。人種も民族も宗教も文化も違う 者同士が集う街、イスタンブールを舞台にした物語。彼らは互いをわかりあおうとし、 実際にわかりあえた。 読書だってベストセラーを読んでもいいし、ジャンルの偏った本を読んでもいい。 そんな国で育ったのだ。誰が何を読もうと別にそれでなんの問題もない。 難解な本を読んで偉くもなければ易しい本を読んでバカでもない。 人それぞれの置かれた状況で読書タイプやスタイルは変わるのだ。 何度も言うようだが区分けされた4タイプは、あえて著者がしくんだ提言に思えて仕方がない。 いや、著者以上に平和や他文化の共有で物事を広く捉える目を養ってもらおういう出版物の 特徴を持つ平凡社がしくんだ提言に思えて仕方がない。 その上で改めてじっくり著者の斬れ斬れコラムを読むと、少し視点が変わるのかもしれない。 なお、本書「趣味は読書。」は望めば誰の力も借りずに本屋あるいは図書館でタイトルに魅 かれて手に取りたい書であった。 他ブログ様の紹介がこの本を手にするきっかけになったことは それはそれでありがたいことなのだが、自分で発見できなかった悔しさもある。 従って、もしこの記事を読んだ方々がこれをきっかけに本屋・図書館に足を運ぶことを 自分は好まない。 「邂逅」という思わぬ出会いで「趣味は読書。」を手にした方がうらやましい。 だから、読者様の中で初めてこの本を知った方がいるなら、一度頭をリセットされることを 期待する。 さらに個人的には面接で「趣味は読書。」でハイおしまいはもうやめた。 これからは、「趣味は読書。」をきっかけにもっと前向きな質問をを投げかけることを 試みたいと思う。 というより、本屋はもうやめたのだ。新たな職場(もう数年経つ)でこの前向きな質問、 いったいいつになったらできるのだろう。まだそのような地位にはない。 本書との出会いを提供してくれたブログ管理者、つな  (敬省略)
斎藤 美奈子
趣味は読書。