takam16の本の棚
です。バーチャルですが......


不具合解消のため、ぼちぼち書いていきます。
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う~む。

どうも職場というところは"信者"が多いなぁと便座に腰を掛けながら腕組みを
している自分がいる。

ここはオフィスのトイレの中だ。しかし
偶然この文をご覧になった方々、そしてお食事中の方々も心配はいらない。
ブログは臭いを出すほど進化はしない。安心してお読みくだされ。

それにしてもである。
"信者"にもいろいろあり、物言いに語弊があってはならないのでちゃんと
説明するのだが、

どうも職場には、特に我が職場には
「織田信長"信者"」
が増殖しているように思えてならない。

急に怒鳴り出す輩がいるかと思ったら
今度はあのバイト野郎をすぐクビにしろと
わめき出す輩がいる。

仕事の後は皆を強制的に飲みに誘う上司は
「がははははは!」
と宴のさなかに大笑いし、周囲の部下はしゃれにならないぐらい
縮こまっている。

感情の起伏は極めて激しく、泣きはせずとも怒りと笑いは天下一品。
そんな男は大の相撲好き。仕事のさなかに相撲をやれと言われるのでは
ないかとみながビクビクしている。

(注) 織田信長は大の相撲好きであった


職場とは、まさに信長率いる戦国時代の世の中か? 
と錯覚を起こす近頃のtakam16。
穏やかな物言いが特徴(と勝手に思っている)の自分に対し、

「そんなことでは生き残れぬぞ!!」

と威圧的な上司。いつ刃物が出てくるのか気が気でない。

だから便座で腕を組んでいるのである。
ちなみに紙はしっかりと設置されていることは確認済みだ。

(注)以前、紙がなくて往生した経験がある

この職場の連中を魅了する織田信長。
魅了の理由が経済政策、例えば楽市楽座などの商業自由化や
家臣をいかにうまく働かせるかといった人心掌握面、あるいは
即決・即断力であるならまだわかる。

気に入らないからあやつをやめさせろとか、
わしを誰だと思っているのじゃ
とどこの時代劇を真似たかはわからないような口調で部下を
混乱させるのはやめていただきたいし、だいたい尾張国(今の愛知県)
の生まれの信長を真似るなら名古屋弁でしゃべるのがよろしかろうに、
関西弁でどやすから滑稽かつ末恐ろしくなる。

職場の信長"信者"はどこかを勘違いしている。これでは"患者"だ。
政策よりも性格を真似てははなはだ迷惑だ。
しっかりしてもらいたい。


しかし、今の信長"信者""信者"になる過程には
織田信長という人物についての物語や言い伝えを読み、学ぶ必要がある。
そして信長をテーマにした一連の物語もあらゆる過去の織田信長にまつわる
資料や史料を精読せねばならないのだ。
そして、必ず小説の書き手達が織田信長という400年以上も前の人物を
知るために避けて通れない史料というものがあるのだ。

「信長公記」。

織田信長という戦国武将のそばに仕えた人物が記した一級史料である。
それが、江戸、明治、大正、昭和、そして平成と受け継がれ、
残されてきたのだ。

その作者を太田牛一(おおたぎゅういち)という。
ある1人の一生涯を書き綴るためには、心底からその人物に惚れこまねば
書けるはずがない。それは未来永劫のものだろう。

太田牛一もその1人である。その物書き太田を主人公にした歴史ミステリー
が今、ちまたで人気を誇っている。

「信長の棺」。 ちょっと前のことだが、小泉純一郎が本書の愛読者だと紹介 されたことをきっかけに今年5月に発売されたにもかかわらず、 まもなく年も締めくくりにさしかかるこの時期にまで人気が及んでいる。 問題は小泉なのか、信長なのか、あるいは純粋に本書の中身なのか。 補足しておくが、この段階まで便座で腕組みをしているわけではないことを ご理解いただきたい。さもなくば、とんだ長居となってしまい、 我慢しきれない連中がにっちもさっちもいかないことになる。 トイレからはもう離れてくれ。 話を戻そう。 本書は始まりから慌てふためいている。 本能寺の変(1582年6月2日)を耳にした信長の側近達がバタバタするところ からが物語のスタートだ。 居城の安土城(場所は今の滋賀県琵琶湖東南の辺。事件後、すぐに焼き尽くされ今はない) の下で信長の死の知らせにジタバタする家臣達。 もしもシブガキ隊がこの時代に存在すれば 「ジタバタするなよ!~♪」 と絶妙のアドバイスに一息つくこともあるのだが、そのようなフレーズの ない時代に気休めは無用だ。信長を襲った明智光秀の軍勢が今にも攻めて こようとするのだ。さらに頂点に立ちうる人物を突然失ったことへの不安。 主人公の太田もその時安土にいた。 彼は当時、信長の側に仕え、安土城で主に信長が家臣に送る文書を管理し、 そして家臣から信長に届けられる書類を管理していた。 公文書、密書の両方である。 本能寺へ旅立つ前、信長は太田に重要な任務を命じていた。 「指令があればすぐに届けろ!」 それは信長から預かった5つの木箱。それは太田のみが知る木箱。 安土城でその指令待ちをしていた太田。 そこに信長が死んだとの知らせ。 関連文書は隠さねばならないし、第一に5つの木箱をどうにかせねば ならない。秘密事だからだ。 この逼迫した書き出しでつかみはOKである。 読者はその後の太田の生き方、それを通じておまけに5つの木箱の 謎にも迫れる楽しみがある。 太田の生き方は本能寺の変の前と後とで大きく変わる。 太田は自身、日記を付けていた。 信長の死後、 その日記を基に信長様の事績を伝記風に纏(まと)めてみよう!! と思い立つ。 お側に仕えて幾十年。最初は足軽衆として「弓」で武功をたてた。 その後、信長の「真の」お側で働くことになった太田は信長という 人物を間近で確認でき、そして冷徹な面がありながらも、それらを 一掃してしまう彼のカリスマ性に心底惚れ込んだゆえに信長伝を書こう と決意したのだ。織田信長という人物への敬愛。これこそが のちの世に伝えられることになった「信長公記」執筆の原点 が本書を通じて味わえる。 文中に度々出てくる 「信長さま」がまさにそうだ。 そしてもうひとつ。敬愛する「信長さま」の偉大さを後世に伝える ことで、太田牛一の名が末代まで残るという考え方。作家なら誰もが 持ちたい理想。現実に太田の名は末代まで残っている。 太田牛一、してやったり!! しかしながら、惚れた人物を書くとどうしても良いことばかりを書き連ねる ことになる。太田本人はそれで大満足なのだが、それを許さぬ者がいた。 のちの権力者、豊臣秀吉である。本書にももちろん秀吉は登場する。 しかし信長に対して死んでからも「信長さま」と語る一方で、 豊臣秀吉は物語中においては現存するにもかかわらず、心の中で 「この男」 「秀吉」 「太閤め」 実際、太田は信長亡きあと、秀吉のもとに仕えるのだが、 その「秀吉」が太田が執筆する信長伝に横槍を入れるのだ。 そして、訂正、改変をさせようとするのだ。 その太田と秀吉のやりとりも面白い。 またそういう気に入らぬ権力者のパワーハラスメントに対抗した 太田のしかけ。それはこの世に現存する「信長公記」につながっている。 歴史事典の「信長公記」を索引から探しぜひ読んでみてほしい。 歴史をミステリー仕立てにした場合、日本史において最も盛んなのは 近年、織田信長にまつわる話題である。 なかでも2つの出来事には謎が多い。   ① 信長が今川義元を桶狭間(今の愛知県は中京競馬場のあるあたり)で   奇襲攻撃した1560年の戦 ② 本能寺の変にいたる経緯とその前後    ・明智光秀の計画    ・信長の死体    ・豊臣秀吉の本能寺の変とのかかわり 物語において、太田牛一の「信長公記」に秀吉の横槍があったと述べたが、 その横槍を織田信長にまつわる上記の謎にからめている点は注目だ。 最もホットでミステリアスなネタが本書「信長の棺」にしっかり収まっている。 それはまるで棺の中に一連の物語が収められていると言い換えてもよさそうだ。 この物語がイコール信長の謎がテーマだからだ。 そしてすべてをひっくるめてタイトルが「信長の棺」となっている。 本自体が棺というわけだろうか。 ならば実に面白いではないか。 作家で直木賞選考委員の津本陽氏も織田信長にほれ込む1人である。 週間ブックレビューにおいてゲストで出演した氏は、信長について 「400年以上も前の人物とは思えない。」 と語った。信長があと10年生きていたならば、ヨーロッパよりはやく 産業革命を行っていたかもしれない彼の先を見る目。 そういう果たせなかった彼の理想を描いた作品が
である。人並み外れた猜疑心と攻撃性が特徴の信長の夢は海外進出で あることを最終目的に書かれた本書。 こちらはキリスト教布教のために日本を訪れた宣教師 ルイス・フロイスによる「日本史」 からヒントを得ているか。 1500年代後半から1600年代はポルトガル、そしてスペインの 勢いが絶大であった。当時、キリスト教の布教許可を与えた信長は ルイス・フロイス、ヴァリニャーノ、オルガンティーノといった布教のため に訪れた人物を通じて世界の情勢を把握しようとしていた。 その結果導き出した海外進出構想とは ・中国大陸(当時は明)は征服せずに交易で利益を得る ・ルソン島(当時はスペインが島を牛耳る)を制圧し、    アカプルコ(現メキシコ下、当時スペイン領)を攻める ・ルソン島制圧後、さらに南の現インドネシアの島々から西を目指す (注)フロイス日本史では中国大陸は征服構想となっている というもの。しかし、その道のりを目指したくても目指せない理由があった。 ・自身に歯向かう戦国武将の存在 ・信仰により結束力を強めた石山本願寺と一向宗徒 ・信長の性格とは正反対の保守的な天皇・朝廷の存在 これらの苦悩ぶりを本書で主に描くことで、理想や夢というものをよりいっそう 膨らませる。こちらはミステリーではなく、また文中には時代考証も多く、 会話文もおそらく当時に近いものを再現しようとするために、「信長の棺」 とはその趣は異なる。 よって「覇王の夢」においては、明智光秀の謀反話についてはたったの一行で 済ませている。信長が本能寺において 「茶会を開くため、馬廻り衆を少なくした。」と。それが「命取り」と。 この点、「信長の棺」は本能寺の変は物語のクライマックスだ。たっぷり 書かれている。 また、「馬廻り衆を少なくした」原因を異なった視点 で描いている。 生きた信長の理想を描いた「覇王の夢」と 死んだ信長の真相を描いた「信長の棺」とでは 同じ人物を描こうにもこうも違った話ができあがる。 さて、「信長の棺」の著者である加藤廣(かとう・ひろし)氏は、今年75歳であるが 本作が実はデビュー作である。元来は経営に携わる仕事で名を世間に知らしめている。 デビュー作に信長話を持ってきたということは、彼も信長の"信者"かと思いきや、 実際はこれがそうでもないのである。 著者には常々1つの疑問があったようだ。 歴史街道12月号での著者の話によると 「小説家として信長を褒めすぎることはかえって信長の実像を見誤ることになりは  しないかと危惧している」 という考えが根底にある。 つまりあまりにも世間に美化されすぎた信長像にちょっと待ったぁぁぁ!! と歯止めをかけようとした。 だからこそ信長への敬愛に満ち満ちた太田牛一を主人公にした。 そして愛する信長をどうしても美化して書こうとする太田の執筆に いろいろと難癖をつける輩を登場させている。 それが秀吉であったり○○であったり...... 本書を読み進めるにあたり、著者の姿勢はぜひ頭に置いていただきたい。 織田信長の偉大さは、 時代をまたにかけて、同じ史料を通じているにもかかわらず、 あらゆる光の照らし方を各作家がしながらも、織田信長をうまく引き出すことが 可能である点だ。 よって両書の併読をお薦めする。 先に"生きた信長"「覇王の夢」で彼の苦悩と理想をたっぷり堪能しよう。 その後、"死んだ信長"「信長の棺」で歴史ミステリーの醍醐味を味わおう。 また、信長が好きな津本陽氏と、信長に懐疑的な加藤廣氏という 意味でも面白い。 するとどうだ。信長まがいの上司がアホらしく見える。 芝居じみた構想しか持たぬくせに、信長の仮面をかぶった上司が腐って見える。 ときはいま あめがしたしる さつきかな この連歌は明智光秀が織田信長を討つ直前の決意の一句という説の一方で、 もう少し前に謀反に迷っている明智の悩みの一句という説もある。 先日、上司に業務の報告をした。すると上司が一言、 「あいわかった! 下がってよいぞ!」 家に帰ってじっくり考えた。便座に座りながらである。 あくる朝、 ときはいま あめがしたしる しわすかな 解釈は、前者の決意の一句としてほしい。 出勤じゃあ~、出勤じゃあぁぁぁぁぁぁ!! しかし待て。師走まであと2日。しかも雨が降らねば反旗をひるがえせない。 従って、大人しく出勤した。 ボーナスGETのためだ。 されど信長、たかが信長である。 だらしのない明智ことtakam16なことで.....。 最後になるが、本書が出版後半年経っても人気の秘密。 それは小泉純一郎の愛読も理由のひとつかもしれない。 彼の名を出すことで本書の知名度が高くなったことは事実である。 しかしながら、小泉氏を抜きにしても、 この75歳の新人作家、並々ならぬ努力家だ。莫大な史料を読みあさり、 歴史の謎に迫ろうとした著者。しかもそれをミステリー仕立てにして 読者の心をかゆくさせる。 我々だって信長の入った棺 をちょっと覗いて見たくなる。 くすぐりどころがまさにピンポイントである点は狙いも仕掛けも抜群だ。 信長とはいかなる男か。 信長はどんな死に方をしたのか。 信長とはいったいなんなのか。 さあ、「棺」を開けに本屋へ行こう。 ときはいま ふゆにおりたつ てんしかな [解釈] 書店は今の季節同様冬の時代である。そんな中、75歳の新人作家が 放った本書は読者の心を温め、同時に書店の売上を伸ばす天使のような 存在なのかもしれない。たとえそれがその場しのぎであったとしても。 皆の者、今こそ書店へ足を運ぶ時が来た。入店じゃぁ、入店じゃぁ~!! (注1)書店様はくれぐれもこの記事を読んで買いに来られるお客様に対し、   品切れなどなさらぬようご注意下さいませ。さもなくば、お客様は   確実にあなたがたの書店に足を運ばなくなる恐れがあります。 (注2)読者様はくれぐれもこの記事を読んで書店に足を運び、品切れだったと   しても、その書店を見捨てないで下さいませ。こんな記事が発信された   からといって書店が本の入荷をするわけでもありませぬので。 (注3)読者様はたとえ本書を購入し、読書をした結果、つまらないものであった    としても、takam16を叱らないで下さいませ。さもなくば、気が    小さいtakam16のこと。発信する字が今までの半分の大きさになって    しまいます。気の小ささをそのまま字の小ささでごまかしてしまいかねませ    ぬので、どうか広い心でお願いいたします。 (注4)歴史音痴を自称する方は本作品は決して触れてはなりません。    さもなくば、手がかぶれます。(乾笑)