takam16の本の棚
です。バーチャルですが......


 最近よく夢を見る。おかげで目覚めがすこぶる悪い。
いい夢ならいい夢で願いが叶う寸前に目が覚めるので
それはそれで不愉快なのだが、
悪い夢の方が多いから午前中はずっと機嫌がよろしくない。

例えば
この前見た夢はナイフを持った女に追いかけられた。
オレが何をしたというんだ?
その前は万引き犯と間違えられて取り押さえられた夢だった。
オレは万引きをする勇気がないのだ。するわけないだろ。
とまあ、こんな感じの夢というわけだ。
しかもおせっかいなことに正夢なんてことも考慮に入れねば
ならないのかなぁと、用心に用心を重ねているのだが、

最近見たこれまたどうしようもない一番新しい夢は「魚」だった。
「魚」といっても、魚を焼いた、食ったというありふれた日常生活などではない。
takam16がなんと「魚」になって泳いでいるのである。

背びれやら尾びれやらは漏れなく付いているから泳ぎはもちろん達者であるし、
なによりも初めての「エラ呼吸」を体験した。最初はちょっと戸惑ったのだが、
習得は人間以上だ。

「これがエラ呼吸なのだな。」

とニヤニヤしている自分がアホらしい。
しかし、2つほど大変やっかいなことがあった。まずひとつはウロコ臭いことだ。
魚の放つ独特のあの異臭だ。
そしてもうひとつは目が横に付いていることだ。
確かに斜め後ろも見えるし真横が見えるのは新鮮だった。が、正面となると勝手が
違う。目の玉を両方寄り目にしようと試みたのだが、ダメだった。
シマウマの気持ちがわかった瞬間だった。
しかし、水中で目を開けていても痛くないのは好都合だ。

また、水の中はなにかと危険が付き物だ。
とはいえ、サメやマグロやカジキがいるわけではない。
かといって、タラやワカメやカツオがいるわけでもない。

「おい!中島ぁ!!」

などと声をかけてもくれない。
というか、この場は海ではないのだ。そして川でもない。

汚染により濁りの激しい沼だ。水草が泳ぎの邪魔をするのはいいが、
空き缶やらタバコの吸殻やらがプカプカ浮いて、せっかく魚になった
というのに、とんだ扱いだ!! 人間のクズ野郎が! ゴミを捨てるな!!



と「魚takam16」が汚らしい沼の水深2mのあたりでぼやいていたところ、
水面近くでプカプカ角ばったものが浮いてやがる。それは白い色をしていた。
どうやら食べ物の類か? といいかげん腹がぐぅぐぅ鳴ってしゃれにならないので
ぜひいただきたいと思い、水面に上昇するのだが、そういえば、魚には手がない。
だからどうやって食にありつくかということをあれこれ思案したのだが、
その最中でもその白い奴はこちらにフェロモンを出し続けるのだ。
また、他の魚達に先を越されて奪われた時にゃ~、数時間後の飢え死には確約された
ものだ。

ここはなんとしてもGETしなければと、一目散にその白い奴に近づいた。
より近くでみてようやくわかったのは、
「絆」とか「一体」とか「命」とか、そんなニオいを感じたということだった。
そうだ。この沼地、いつまでも泳いでるわけにはいかないのだ。

ヤモリやらカエルやらザリガニやら危険だらけだ。
自分の命は大切に守りたいし、知り合いの魚が残念ながらこの沼には
いないようなので
新たな友を見つけ、絆も深めたい、孤独も嫌だから一体感もまたいい。
というよりもこれらを全部
あわせて平和な環境に行きたい!!

というわけで、食べ物じゃないことがわかったのだが、とにかくそれらを望んでいた
「魚takam16」は不慣れな横についた目ながらも自分の口がその白い奴の
正面に来るように体を向け、パクリとかぶりついた。ところがである。


その「絆」とか「一体」とか「命」とか、そんなニオいを感じる白い奴は
物凄い力で自分を水面から引っ張り出そうとしたのだ。必死にもがくtakam16。
しかし不慣れなヒレを使った泳ぎとエラ呼吸、それに横の目が抵抗を中途半端にさせる。
しかも口になにか針のようなものが食い込んでいる。

「し、しまった!!」

人間とはこうも残酷な輩。そして魚とはこうも単純な生き物。

「絆」とか「一体」とか「命」とか、そんなニオいを感じる白い奴の物凄い
「引き」のパワーに気絶寸前のtakam16。
口から泡がブクブク.....



「お客様、カバーをおかけしましょうか?」

「え?」

気持ちがあさってに向いていた自分に誰かが声をかけた。

ハッと現実に引き戻された。どうやら考え事をしていたらしい。
自分が魚になったらどうなのかという考え事だ。

声をかけたのは本屋の姉ちゃんだった。彼女はつくりえくぼで微笑んだ。
思わずお返しの笑みで応対するtakam16。残念ながらえくぼは出ない。

やられた。こんなしぐさでイチコロだとは... こちらは人間takam16。


というわけで、
「絆」とか「一体」とか「命」とか、そんなニオいを感じる白い奴......
まあニオいといってもそれはインクのニオい。
「絆」「一体」「命」....、それらは平和につながるもの。そのようなテーマを
常に物語で存分に語りつくす作家、梨木香歩氏が「白い奴」、
つまり白い表紙の新刊を出したのだから、一目散にパクついたというわけだ。

そして著者の訴えかけるパワーに引かれたというわけだ。 とにかくこの梨木香歩氏。図書館での貸し出し予約数は常にいっぱいだ。 古い作品でも回転率はすこぶるいいとは図書館員の話。 ちゃっかり図書館員に聞いているとはなんて準備のいいことだろう。 とにかく平和の願いを作品に込める著者。 ひとつの個から始まる著者の物語は別の個達とぶつかりあいながらも、 最後はわかりあえる、わかりあえるはずだ、 というのが一連の作品に見られる展開だ。これがすこぶる評判がよろしい。 そして、今作品においては、非常に壮大なスケールの物語をぶら下げてきたのだ。 パクリとかぶりつく「魚」の気持ちもわかるだろうか。 主人公の私こと久美。非常に現実的な女性である。その彼女はある日なんだか わからないが、親戚のおばさんから頼まれて先祖代々から存在する家宝を 受け継いだのだが、それが 「ぬか床」 というではないか。そんな家宝いらねー。 当然これがまあ面倒くさい。毎日「ぬか床」を掻き回さねばならないのだ。 変な家宝を背負ってしまったものだ、しかも友人にも言えないくらい恥ずかしいぞと 思っていたところ、その「ぬか床」からなんと卵が発見された。 おいおい、物語があさっての方向へ進みだしたぞ。もう少し読み進めよう。 するとどうだ。その卵がかえってしまったからさあ大変。 しかもかえったその生き物、ちゃんと話をする。 手もある。足もある。けど人間のようで人間でない。なんだコイツは?? 卵が1つならまだ許そう。ところが それが2つ、3つと発見されてまたまた大変。どんどんかえったらどうしよう..... ここで主人公はこのわけのわからない先祖代々の意味不明な「ぬか床」を どうにかせねばと考える。 実はこの「ぬか床」は元所有者から受け継いだ。その所有者が死んでしまったのだ。 もちろん先祖代々なのだから、元所有者は親戚だ。その親戚は独身なために子供がなく、 「ぬか床」を受け継ぐ者がいない。そこでその親戚の元所有者の姉妹であるオバさんが 主人公に受け継ぐようにお願いしたのだ。 また、数年前に主人公の両親が2人とも事故で死んでしまったのだが、 その理由に「ぬか床」がからんでいることをひょんなことから聞きつけたのだ。 さあ、この先祖代々の恥部、そして不運を招くであろう「ぬか床」の謎に 迫りたくなるのも無理はあるまい。 なんだか妙に非現実的なストーリーだが、この謎解きにtakam16も ワクワクドキドキ。 ここで、「ぬか床」にまつわる死の真相を知るべく、また「ぬか床」の相談を 死んだおばさんからされたことがあるというわけで登場するのが 風野さん、男性だ。 偶然にも主人公と同じ会社なのだが持ち場が違い、こちらは微生物の研究所に勤める人物。 またこれが生物談義がやたらと好きな男なのである。 酵母菌がどうとか、微生物はこうとか、遺伝子がああだとか本業ゆえに仕方がないの だろうが、とにかく生物にまつわる話にうるさくしかも細かい。 そんな奴、友人にいたら文系のtakam16は嫌だ! だが、この物語の核心にせまるには必要不可欠な人物とそして 生物談義だ。マークしておけ!! とりあえず、ここからの展開は本書にその回答を譲る。 著者には「平和」とテーマが常に物語に横たわっていることは先に述べた。 これは裏を返せば、平和でない場所が世の中がいたるところで日々起きていることを意味する。 著者が嫌う言葉は 「宗教」「民族」「人種」「男女」などによって必ずもたらされる 「区別」というものである。 「区別」の発生の先には強者と弱者ができたり、支配や差別という行為が行われたりする。 そして精神面ではついつい欲が出てしまう。欲はやっかいなもので心に留めておくことが 非常に困難なものだ。これが表に出てくるといろいろやっかいなことが起こる。 そしてその先に見えるものが、「殺し合い」そして「戦争」である。 梨木氏が本書において、壮大なテーマをぶらさげたそれは人間だけで世の中が成り立って いるのではない。動物も、植物も、そして細菌類もすべてをひとまとめにした 「生物」という壮大なテーマである。 人間も、犬も、猫も、カエルも、カマキリも、ヒマワリも、アサガオも、その起源をたどって いけば、その源はあるひとつのなにかに行き当たる。 しゃれにならないぐらい昔にあるひとつのなにかが生まれ、それは「分裂」と いう行為により増殖していった。それが次々に行われた結果、 例えば動物であったり、植物であったり、 そしてそこからさらにいろいろな種類の生物が枝分かれしていった。 やがて「分裂」という行為が、いつの日かなにかの理由で、 「結合」という革新的な方法により子孫を残すやり方が誕生した。 また、例えば同じ種類の動物同士でも進化の速度の違いや能力の違い、子孫を 残す方法の違いなどさまざまな理由により、さらに枝分かれしていき、 現在最も進化したのが人間といわれている。 しかし元はみんな同じところから出発しているのだ。 人間なんてちっぽけなものだ。進化はしたといえ、生物のほんの片隅だ。 なのに同じ人間同士、争ってどうなるの? 肌の色が違う?思想が違う?生まれた場所が違う?言葉が違う? でも同じ人間でしょ。だったらうまくやっていける方法があるはずだ。 それを考えるだけの能力を最も進化した人間が兼ね備えているのだ。 なのになぜ争い、戦い、殺しあう。 そんなことのために進化したのか、我々は? 梨木氏は以上のような信念を持って執筆活動をずっと続けてきた。 その最先端をいくのが本作品というわけだ。 このスケールのでっかさ、堪能するのはいつでもいいが、いつまでも待っている わけにはいかないのだ。なぜなら彼女のことだ。 さらに最先端をゆく壮大な作品を次々に生み出しうる潜在能力があるのだ。 梨木氏は、生物の進化について 「とめようのない流れ」 と本書において、否定的ではある。進化の結果、人間が得たがゆえに 起きていることのひとつに「争い」があるからだ。しかも同じ人間同士で。 しかし、氏の作品の進化については個人的には極めて肯定的でありたい。 著者の作品の進化を読者が味わうことができるのであれば、それは作家冥利に尽きる であろう。 さて、これをブログに置き換える。強引に置き換えてみる。 ここはアメブロなので、アメブロを例に挙げて考えた。 我々はアメブロに会員登録することで、アメブロという1つの生き物から分裂という 方法で命を授かった。それが個々のブログである。当然最初はブログの数は少なかった。 それはなんらかの方法により増殖していった。実際は宣伝や口コミという説明のつく 理由なのだがとにかく増殖し、今では何十万という数にまで膨れ上がった。 生物と違うのは、元の1つの生き物からスタートしている点である。 その中で話のあうもの同士が集まり、さまざまなつながりが自然にできあがった。 すると、最近アメブロはスクラップブックという新手の方法を生み出した。 他ブログ様にご説明するとスクラップブックというのは、ある特定のテーマを誰かが作り、 それに共感した、同感した人々が私も入ります、と言ってメンバーに加わる、言ってみれば クラブ、組合、PTA、そんなイメージと考えてくれればよい。 これを梨木氏に沿って考えると、「結合」ということになる。 ただし、クラブ、組合、PTAにたとえたスクラップブックというものは、 ひとつの壁をつくることにもなる。その壁の決め手は、そのことについて興味があるかどうか、 共感できるかどうかといった思想の部分だ。 ということは、そのグループにどうしても入れない者が生まれる。 それは自然に生まれるのではなく、積極的に生まれるのだ。 ありがたいことにアメブロの1ブログにおいてスクラップブックがあまり目立たないような 表示であることにはまだ救いがある。 ある生物の進化の過程には「分裂」による増殖から「結合」により新たななにかを生み出す という方向転換があった。 スクラップブックは極端に言えば一種の「結合」に似たものだ。 ブログはどんどん進化する。 アメブロにおいては、「結合」という新たな方法を誕生させた。 他ブログも含めてそうなのだが、 ブログの進化とその行く末がなぜだか梨木氏の本書で語る生物にまつわる 壮大なストーリーにどこか似ていると感じたのは、 ブログという命を持つ一(いち)ブロガーであればこその視点なのだろうか..... 例えばブログでよくあるテーマによる棲み分け。 それが「区別」に思えたのは本書を読んでからだ。 便利であることに異論はないが、それが強制されているような気を感じた。 みんなみんな~生きているんだ友達なんだ~♪ けどミミズやカエルやアメンボはねぇ~ と、躊躇するtakam16。 しかし魚の気持ちはちょいとばかし頭の中で実感できた。 「魚takam16」も捨てたもんじゃ~ありませんぞ。 そうだ。卵の産み方はどうするのかなぁ.....