takam16の本の棚
です。バーチャルですが......

とうとう、我が大阪にも雪合戦ができる下地が整った。
朝起きたらそこは雪国だった。
今日が終業式の子供は2重の喜びだろうが、
こちらとしては早く家を出ねばならず、しかも雪道に不慣れである。
スキーやスケートといった滑りモノを怖がりのせいで不得意としている
takam16にとって、試練の1日が今始まろうとしている....(←アホ)
(AM 5:20)
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直木賞といえば、文藝春秋社を母体にした文学賞である。
その名が世間によく知られる理由は133回という歴史と伝統に支えられた
からと言っていいだろう。
一方、文藝春秋社とは週刊誌や文庫、新書等でライバル関係にある出版社
の1つに新潮社がある。
その新潮社も文藝春秋の文学賞の最右翼である直木賞に対抗したかどうかは
定かではないものの、かなりこの伝統ある賞を意識し、ライバル視していると
思われる文学賞を持っている。それが
山本周五郎賞である。

しかしながら、認知度の点では直木賞の足元にも及ばないようだ。
なぜなら、山本賞はまだ18年の歴史しか持たないからだ。
かたや60年以上の歴史を誇る直木賞。
本に明るくない友人などに山本賞の存在について尋ねるのだが、
どうも切れ味良い答えは返ってこない。
一方の直木賞なら「あ~、ハイハイ。」である。

山本周五郎賞と直木三十五賞、大きな違いは、直木賞が1年に2度あるのに対し、
山本賞は、年に1度の賞である。そのうえで、

・小説が対象
・小説以外が選ばれることもある
・対象期間は前年4月~本年3月
・発表は5月

直木賞は大衆文学が対象なため、山本賞の方が期間も範囲も広い。

ここでちょっと山本賞受賞作家の顔ぶれを見てみよう。

18回 荻原浩   「明日の記憶」                            光文社
    垣根涼介  「君たちに明日はない」                    新潮社
17回 熊谷達也  「邂逅の森」                              文藝春秋
16回 京極夏彦  「覘き小平次」                            中央公論新社
15回 吉田修一  「パレード」                              幻冬舎
    江國香織   「泳ぐのに、安全でも適切でもありません 」 集英社
14回 中山可穂   「白い薔薇の淵まで」                      集英社
    乙川優三郎  「五年の梅」                              新潮社
13回 岩井志麻子 「ぼっけえ、きょうてえ」                  角川書店
12回 重松清     「エイジ」                                 朝日新聞社
11回 梁石日     「血と骨」                                幻冬舎
10回 真保裕一    「奪取」                                  講談社
    篠田節子    「ゴサインタン」                          双葉社
 9回 天童荒太    「家族狩り」                              新潮社
 8回 帚木蓬生    「閉鎖病棟」                             新潮社
 7回 久世光彦    「一九三四年冬 乱歩」                    集英社 
 6回 宮部みゆき  「火車」                                  双葉社
 5回 船戸与一    「砂のクロニクル」                        毎日新聞社
 4回 稲見一良    「ダック・コール」                        早川書房
 3回 佐々木譲    「エトロフ発緊急電」                       新潮社
 2回 吉本ばなな  「TUGUMI」                          中央公論社
 1回 山田太一    「異人たちとの夏」                         新潮社         


長くなるのでここには示さないが、候補作品は4~6作品。身内に優しいのは
文藝春秋社の直木賞と同様で、18年間新潮社の作品が候補を外すことはない。
ただ、受賞傾向が直木賞の場合、はっきりと身内に偏りがちである点において、
山本賞は他出版社の受賞も多い。光文社や双葉社で受賞できるなど、直木賞には
考えられないことである。よって、おいしいデータが揃わない。


赤字は、山本賞、直木賞の両方を受賞した作家である。
22人中、8人、つまり36.3%が山本賞と直木賞の2つを獲っている。
数字を見る限り、40%弱の確率で両賞を受賞できるのだ。

しかしながら、ここで大切なことがある。
どちらの賞を先に獲ったかという問題だ。
賞レースというものは他のさまざまな新人賞や文学賞の受賞を経て、結果的に
山本賞、直木賞候補作にまでこぎつける場合がほとんどである。

各賞の受賞という経験を引っさげて山本賞、直木賞候補となり、最終的に受賞する
ということは、ライバル関係といわれる両賞にとっては先に相手が賞を与え、あとで
自分が賞を与えた方が、知らない者が見たときに自分の賞の価値が上であることを
誇示することができるのだ。

そこで調べてみると、上の赤字の8名の山本賞&直木賞受賞作家は

みんな、山本賞 → 直木賞 の順序を経ているのだ。みんなである。100%だ。


そして、以下のようなパターンがしばしばある。
例えば江國香織氏の場合、

 10回山本賞 候補止まり 「落下する夕方」             角川書店          
 13回山本賞 候補止まり 「神様のボート」             新潮社          
 15回山本賞 見事受賞  「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」 集英社 
127回直木賞 候補止まり 「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」 集英社
130回直木賞 見事受賞  「号泣する準備はできていた」       新潮社

このデータでは候補作も含めて山本賞のあと、直木賞という順番だが、
実際は山本賞候補、直木賞候補と交互に選ばれながらという形が多い。
また先に直木賞候補になり、あとで山本賞候補ということももちろんある。
しかしここで重要なことは、あくまでも山本賞を受賞して初めて直木賞の受賞
の道が開けるわけで、直木賞を受賞した作家がのちに山本賞候補や受賞者となることは、
山本賞が始まって以来、一度もないということである。

そしてより細かく見ていくと、
15回に山本賞を受賞した「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」
が、直木賞においても候補作になりながら、受賞できなかったという点に注目したい。
江國 香織
泳ぐのに、安全でも適切でもありません
山本賞で受賞した作品が、直木賞で候補作止まりに終わる例としては4例あるが、まずは3例 江國香織  「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」 集英社 梁石日   「血と骨」                幻冬舎 久世光彦  「一九三四年冬 乱歩」          集英社 これらの場合、最終選考委員の常套文句は決まって 「この著者の作品は他で賞を獲っているから今回は....」 である。ならば最初から候補作に入れるのは筋違いだろうと思うのだが。 ところがこの文句に照らし合わせるとどうしても気に入らないのが、 熊谷達也氏が「邂逅の森」で山本賞を受賞したにもかかわらず、 直木賞を受賞したことである。これが先の3例プラス1例の合計4例だ。 その理由は明白だ。なぜなら、「邂逅の森」は文藝春秋社による作品なのだ。 ライバルが山本賞を与えてくれたのだ。ウチが与えることでW受賞という初の快挙を 成し遂げることができるのだ。受賞させるのは当然だと考えるべきだ。
熊谷 達也
邂逅の森
こういうパターンをここでは「ごっつぁん受賞」と言おう。苦労せずとも獲れた直木賞。 新潮社さん、ウチの作品を選んでくれてありがとう!! ということだ。 ただし、「邂逅の森」も含め、熊谷氏の作品はどれも力がみなぎり、もしもここで直木賞を 獲れずとも、別の機会に直木賞は獲れたとフォローしておく。 ライバル関係ゆえに、一方が歩み寄れば他方も準ずる。そんな例が他にも見られる。 東郷隆氏は11回山本賞において文藝春秋社の作品で候補作となった。受賞までとはいかなかった ものの、そのお返しなのか、直後の119回直木賞では、今度は新潮社の作品を候補作にさせた。 こちらも受賞にはいたらなかった。これはいわゆる取引か? 8回山本賞では高橋直樹氏が文藝春秋社の作品で候補作に選ばれた。それではということで、 直後の114回直木賞では文藝春秋社の雑誌連載より初選出された。両方とも受賞はできな かったが、 「認めてくれてありがとう。」という心が見え隠れする。 その一方で、「ふざけるな受賞」というのがある。例えば、 7回山本賞で海老沢泰久氏は文藝春秋社刊の「帰郷」において、候補作に選ばれながら受賞を逃した。 すると、直後の111回直木賞では同じく「帰郷」で直木賞を受賞した。 もしも山本賞で「帰郷」が受賞していれば、「ごっつぁん受賞」により、すんなり事は運んだのだ。 山本賞に対し、格が違うのだと言わんばかりの受賞に感じた。
海老沢 泰久
帰郷
また、直木賞候補に選ばれながら受賞を逃した作品に山本賞が賞を与える場合がある。 京極夏彦  「覘き小平次」  中央公論新社 篠田節子  「ゴサインタン」 双葉社 宮部みゆき 「火車」     双葉社 この場合、宮部みゆき氏以外の2人は直後、あるいはその次の直木賞において別の作品で受賞した。 もしも山本賞を受賞していなければ、どのような結果になったのだろう..... 直木賞側としては、山本賞はどうしても自分より格下に置きたがる傾向がある。 上記の山本賞受賞者22名のうち14名はのちに直木賞作家にはなれなかったが、 14名中、 中山可穂、 岩井志麻子、梁石日、真保裕一、天童荒太、久世光彦の6名は のちに直木賞候補となったものの、選考委員のお気に召されず、 残りの8名はお呼びがかからずである。 ただし、吉田修一氏に関しては、文藝春秋社の2枚看板の1つ、純文学新人作家が対象の芥川賞を 受賞しており、芥川賞受賞作家は直木賞受賞作家にはならないため、彼は省かれる。 また、のちに直木賞を受賞した8名のうち、 江國香織 乙川優三郎 重松清 宮部みゆきの4名は山本賞直後の直木賞受賞を見送られている。 そして改めて直木賞受賞という流れになっている。 山本賞の受賞を認めたくないという裏心に見て取れる。 直木賞側にとっては、山本賞は目の上のたんこぶの存在のようだ。 よって、そうは簡単に直木賞は受賞させてくれない。 しかし、山本賞側が歩み寄ってきた場合、直木賞側はそれを素直に受け入れる。 また、山本賞側も自分達は直木賞の受賞ステップの1つであると位置づけていると 考えざるを得ない。直木賞を受賞した場合、山本賞はその直木賞作家をのちに候補にも 入れないのだから。 以上より、 134回直木賞候補作家について考えるならば、 18回山本賞受賞作家の荻原浩氏が今回の直木賞候補作に選ばれる可能性がある。 「あの日にドライブ」は直木賞とは縁の遠い光文社からの出版だ。 よって、集英社刊の「さよならバースディ」が予想されるが、 直木賞側としては、山本賞を事実上格下と見ている。そして、荻原浩氏はこれまでに 直木賞候補に選ばれた経験はない。そのため、山本賞を獲ったから直木賞をというの では、直木賞側のプライドが許さない。候補作の余地は残すが、受賞となると問題だ。 見送りが無難であろう。 同じく18回山本賞作家の垣根涼介氏は今回は対象期間に作品の発表 がなかった。
荻原 浩
あの日にドライブ
 
荻原 浩
さよならバースディ
ちなみに過去の山本賞候補止まりの作家で今回直木賞候補になりそうなのは 伊坂幸太郎 梨木香歩 の2人。 勝手な候補作予想はほぼ絞られた。 <謝辞> 12月に入り休みがなく、会社での泊り込みもしばしばで、 また年末年始も働く予定ですので、更新が急激に滞っております。 皆様のところへの訪問もままならず、どうもすみません。