衰えた。すっかり衰えてしまった。それが如実にわかる。
残念だ......



別に中田英寿の引退についての感想を述べたのではない。

いったい何が衰えたかというと、
自分の文章を書く力が明らかに衰えているのである。
過去の更新記録がすべて残っており、しかもバックアップもとっている。
ちなみにバックアップをとる理由はただひとつ。
サイバーエージェント社が倒産した時に備えているのだ。

以前の文章を読み返し、そしていくつかの最近の更新予定の記事
を読み比べるのであるが、どれも「へたれ」な駄作だ。
お話にならない。

こう書くと、
「書きたいようにやりたいようにやればいいのですよ、ブログなんて自由ですから。」

とおっしゃるうさぎさんもおられるが、「自由!自由!」とおっしゃるうさぎさんほど、
普段不自由をしているか、または不自由な現状に不満であるか、さらには普段の生活で
物事を型にはめたがる傾向を持つうさぎさんである。
つまりは「自由!自由!」と言えば言うほどこちらとしては、そんなに自由が少ない
環境であり、その自由を求めているのだなと勘ぐってしまう。


実のところ、本当に書きたいこと、言いたいこと
というのは、ちゃんと非公開の日記帳というものに日々書き殴っている。
それは確実に更新を躊躇せざるをえない日頃のうっぷんをふんまんに盛り込んだいわくつきの
シロモノだ。こんなことを更新したらとたんにブーイングという嵐に巻き込まれること必至である。

読者から、生活感がいまいち伝わってこないとかわいいクレームをいただくが、
原因は自身の生活面についてはすべて前出のいわくつきのシロモノに納め、封印している
からだ。
よって、更新することしないことときっちり境界線を引いており、発表できることだけ
小出しにしている。
家族や仕事等に関する記事はほとんど出さないし、出す必要もない。それこそ日記帳があるからだ。
よって自分の書くブログについては到底日記にはなり得ない。
よって身近な事象から本の話やテレビの話、事件・事故へとつながるオーソドックスな
流れをちょっぴり偉そうに書き綴ろうとしたいわけだがそれがどうもうまくいかない。


文章力の衰退、退化、停滞。
この原因は明白だ。

例えば競馬という娯楽がある。競走馬は常に走り続けているわけではない。
時にはケガや病気をし、休みを余儀なくされる。またはリフレッシュ休暇も与えられる。
馬は数ヶ月休んだ後、休み明けという形でレースで走ることになる。
するとレースから離れていたため勘が鈍り、思わぬ凡走に終わる。
当たり前だ。他の馬は走り続けているのだ。一緒にするのが間違いだ。


自分を馬に例えるのも妙な話だが、騎手のムチに対し反応が鈍いのと同じで
とにかく筆に対する反応が鈍いのである。
いや、これはブログなので指が鈍っているというのが正解か。
書きたいことは多く持つのにどう書くかという部分が退化しているとひしひしと感じる。

退化の理由は他にもある。
文章を書くという行為の前提には文章を読むという行為をせねばならないことを
信じて疑わないのだが、
この読む行為、つまりは「読書」が確実に減ったのだ。量、質ともにだ。
読まないから書けない。
決して読書からすべてを学び、倣っているわけではない。
「書を捨てて街に出る」ことはしばしばだ。
そして自分らしく書くことを常に心掛けている。
しかし、新たな発見や気づきは実体験だけでは視野が狭すぎ、またテレビでは映像という
便利さが逆に思考を停止させてしまう。
そこで「読み」の欠落のツケがまわっているのが現在の「あるじ」というわけだ。

半年ほどお休みをいただいたが、訪問者数は不思議なことに減少していない。
たいへんありがたいことだ。
しかし、わかる人にはわかるのだろうが、いまいち「きれ」がないなぁと最近の記事で
感じておられる方も多いと思われる。
しばらく辛抱願いたい。
書き続けることで勘を取り戻すことを。
ただし、更新数の増加は保障できないことを申し上げておきたい。


orei2

あるじは初心に戻ってブログを書きますんで、どうか長げ~目で見守ってくださいませ。