などなどなどなど。

頭がいい人、悪い人の話し方
頭がいい人、悪い人の話し方樋口 裕一

PHP研究所 2004-06
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おすすめ平均 star
star自分を反省するきっかけに
starそうなんでしょうが・・・
starうーん・・・

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先日、樋口裕一氏の著書、「頭がいい人、悪い人の話し方」を105円で 購入する機会に恵まれた。ちまたで人気のブックオフである。約200ページで 字もちょうどよい大きさ、軽めの新書ということで1時間ほどで読み終えたのだが、 その中で印象に残ったのは残念ながら本書の内容ではなく、 「など」 であった。説明しよう。 「など」を辞書でその使用法について確認すると ① 例を挙げてそれだけに限らずその他にもある意を込めていう ② それだけに限定しないで柔らかくいう ③ 引用句をつけて「大体そんなことを」の意味を表す ④ 「寝坊などするもんか」 という否定 そして ⑤ 軽蔑をあらわす 「頭がいい人、悪い人の話し方」のタイトルにもあるように、「頭の悪い人」の例 を読むと ~などと言う ~などを連発する ~などと例示する とこれらだけにとどまらず、軽蔑の「など」を無差別に使用している。 別のところに反応すればいいのになぜ、「など」に激しく反応するかというと、 昨今のニュース番組におけるアナウンサーのある事件に対し、その容疑者への 侮蔑、軽蔑を込めているのか、視聴者を腹いっぱいにさせるほど「など」を 使うも、ちょっといかがなものかという意見を持つからだ。 ○×容疑者は 「カネが欲しかったから押し入った」などと供述しており..... △□被告は 「神がのりうつった」などと冒頭の陳述で..... 北朝鮮側は 「拉致は解決した」などと主張しており...... といった具合だ。 特に昨今起きる凶悪犯罪が起きる背景、原因がどうもはっきりしない、理解できない 場合に「などなどなどなど。」と乱発することはなはだしい。 マスコミは自身には理解できない、理解しようとしない出来事には 必ず軽蔑の意味を存分に込めて、「など。」を持ち出し、視聴者を自身の思想に誘導 する。 つまり、「など。」という軽蔑を込めた言葉の乱用は、 多くの視聴者、読者に単純明快に受け取ってもらいたいマスコミにはとても便利な 言い回しだ。 思考を研ぎ澄まさなくても物言いに「など。」を付ければ 一発で聞き手を牛耳ることが可能となる。 だからいつもニュースでこの言葉が出ると顔を歪めてしまうのだ。 オレの五感をたった2語で鈍らせるなと。 このなどなどの大盤振る舞いにイマイチぴんとこない方のために とっておきの例があるので以下に紹介しよう。 悪意と侮蔑がしっかり搭載されている。 ---------------------------------------------------------------------- また外したのか、直木賞 !!
まほろ駅前多田便利軒
まほろ駅前多田便利軒三浦 しをん

おすすめ平均
stars読みたいもの
stars人と人が関わっていくという物語
stars落ち着いたエンタテイメント
starsなんとこの人は芸達者なんだろう
stars古風で爽やかな物語

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風に舞いあがるビニールシート
風に舞いあがるビニールシート森 絵都

おすすめ平均
stars挑む人の小説
stars挑戦者としての生き方
stars2000年代の市井小説

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予想 前編 予想 後編 13日、第135回直木賞の選考結果が発表され、三浦しをん氏の「まほろ駅前多田便利軒」 と、森絵都氏の「風に舞いあがるビニールシート」の2作品が受賞した。 同時に2作品が受賞したのは131回の熊谷達也氏「邂逅の森」、奥田英朗氏「空中ブランコ」 以来、また今回も文藝春秋社からの受賞ということで、これは5回連続である。 さて、直木賞が近づくと、予想・推理といった類が活気を帯びる。ネット界では昨今 ブログという「自分メディア」の急速な発達により、閲覧者により近い位置でしかも 思いのままを簡単に発信できる場が提供されている。 しかしながら、安易な予想で逆に自分で自分の首を絞める結果になる「エセ予想屋」も存在する。 ここに紹介しよう。 元「本と本屋と図書館に魅せられて」の管理人takam16は134回の直木賞予想をものの見事 に外した挙句、たくさんの疑惑に満ち満ちた言い訳、不遜な態度で我々を困惑させるばかりか、 その後半年もの間、休眠という名の「逃げ」に走り、その後新たに「あるじ...」などというこれまた 稚拙なブログタイトルで再び直木賞予想に挑んだ結果、、ものの見事に砕け散った。今日公開された 映画「日本沈没」にあやかって、「あるじ沈没」とも言える地に落ちた、そして知に落ちた予想ぶり。 しかもひどいことのひとつに前回の経験則がまったく生かされていない点、そしてなんといっても その予想の展開において、受賞作を真っ先に斬り捨てるという先見の明のなさ。 被選出者の初回の受賞時の出版社から、 文藝春秋社から受賞する作家の初選出出版社は文藝春秋社である。 などとの決め付けはあきらかな思慮不足。 前編・後編と2つも記事を用意しながら前編で「なし。」などと真の受賞作を軽く判断し、 後編に落選作をじっくり推理するという言葉のムダ遣い。 おまけに読者にあれだけの長文を読ませておきながら結論が 該当作なし などでは開いた口も塞がらない。 さらには今回は締めを「あるじの広報」なる者に任せ、責任を逃れるなどといった 過去の反省を全く活かしきれない今予想に読者を代表してまことに遺憾であると 述べざるを得ない。前回同様雲隠れを決め込む算段か。 翌日あるじの居場所を突き止めようと懸命の取材を続けた結果、我々が懇意にして いるとあるラーメン店で、ツバのやけに長いキャップを深々とかぶり、おまけに夜にも かかわらずサングラスをかけソバをすするあるじを偶然にも発見。突撃取材を試みた ところ、 「直木賞とはなんだ?」 「受賞作よ、おめでとう。」 などと小声での弁解はあまりにも見苦しく、しかも寂しい。 挙句の果てに 「もう直木賞を予想する、などということはやめにした。」 などと逃げのコメントまで準備する周到ぶり。なのにラーメン店で安易に発見される というまぬけぶりに我々はあるじの存在自体に NO と否定せざるを得ない。 この予想は資料がある限りのちに語り継がれる駄作ということに誰も否定はしないだろう。 あるじの予想などもう誰も.....