takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... 思うところがあって 「本と本屋と図書館に魅せられて」は、 一時更新をストップしたいと思います。 読者の皆様にはご迷惑をおかけしますが、 ご理解いただければと存じます。 再び戻ってくる時期があるかとは思いますが、 その時はまたよろしくお願いいたします。 管理人 takam16 |
takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... ・伊坂幸太郎 「死神の精度」 (文藝春秋) 2回ぶり4度目の候補 ・荻原浩 「あの日にドライブ」 (光文社) 初候補 ・恩田陸 「蒲公英草紙」 (集英社) 2回連続2度目の候補 ・恒川光太郎 「夜 市」 (角川書店) 初候補 ・東野圭吾 「容疑者Xの献身」 (文藝春秋) 3回ぶり6度目の候補 ・姫野カオルコ 「ハルカ・エイティ」 (文藝春秋) 4回ぶり3度目の候補 ● 早かった候補作の発表 例年、候補作の発表時期は最終選考会の約1週間前である。ところが今回は1月17日の 最終選考会より約2週間早い1月4日。正月気分が抜けきらぬままの候補作発表で 鼻息を荒くしたが、一方で選考会まで間が開き過ぎると盛り上がるタイミングを失って しまう。takam16としてはすっかり頭がクールダウンしてしまった。 この狙いは出版界の事情もあろう。候補作にノミネートされることで、当該作品がどんな 顔ぶれかを我々読み手側が確認することができる。実際、書店でのこれらの問い合わせも 多く寄せられると聞いた。 時間を与えることで自分のように調子が狂う場合もあるが、結果的にはなにが受賞するか という読み手側での会話のネタとして一役を担ったといえるだろう。 問題は、この時間の空白が果たして業界の売上にしっかりと反映されるかどうかである。 書店の問題は流通だ。本来であれば書店側は候補作情報を事前に入手してひそかに在庫を揃え、 発表日の1月4日に候補作品を陳列したいのだ。ところが候補作の名目上の発表は1月4日 (1月5日新聞紙上で掲載)にもかかわらず、 実際には12月の中旬までに候補者は決定している。 業界では売上促進のためにもそれらの情報が知れ渡っている必要があってもいいのだが、 そうすると情報漏えいのリスクも考慮せねばならない。 よって秘密裏に事は進められるのが現状だ。 候補作情報を事前に知るためにはなんらかの仕事上の人間関係を構築せねばならないだろう。 しかし、1月5日に書店をいくつか巡ったが、一部の大手書店を除くほとんどは6作品の在庫は まったくないか、あるとしても微々たるものだった。 出版社と書店との連携はあいかわらずさっぱりであり、それに重ねて書籍の売上が毎年下降して いるのだからまったくお話にならない。さらには年間1000店もの閉店・廃業..... 結局多くの書店側は候補作発表後に出版社に注文するという方法になるものの、 流通に非常に時間がかかる業界なために注文品が入荷した頃にはすでに直木賞発表という有様だ。 そんなムダは嫌だというわけで、書店は直木賞候補作の話題の蚊帳の外に置かれてしまう。 ならば直木賞など無視して別の本を売ればいいのだが、なかなかその手段を講ずることができない というジレンマが見え隠れする。そのような書店がそこら中に存在する。 これも金太郎飴書店の悪例の1つだ。 売れるものを売るよりも、売りたいものを売れ。前者の書店はだいたいがつまらない。 ● 読み手は買わずに借りにいく たとえ2週間の期間を設けたとしても、読み手が「買い」に走るかといえばそうではない。 いまは読み手が「借り」に走る時代で、それは小説にやたらと集中する。 例えば東野圭吾氏の「容疑者Xの献身」について 発表前の昨年12月27日と発表後の1月12日での予約数の変化を調べたところ 横浜市立図書館 928冊 → 1027冊 さいたま市図書館 543冊 → 618冊 これほどの予約があるにもかかわらずさらに予約が入っている。 1027番目の予約者はいったい何年後に読むことができるのかに興味は及ぶが、 直木賞以前に小説は買うまでもないという読み手の姿勢がはっきりわかる。 姫野カオルコ氏の「ハルカ・エイティ」の場合は 横浜市立図書館 119冊 → 127冊 さいたま市図書館 46冊 → 58冊 東野氏の作品と比べて認知度は低いが、これもけっこうな予約数だ。 数字を見て予約をあきらめた方が多いと見るが、 ちまたでささやかれている文学や物語の衰退を庶民の眼でみたわかりやすい 数字のひとつが図書館の予約件数チェックである。 受賞作が実際に決まった時の予約数の変化に注目だ。 ● 自分の予想と照らし合わせれば..... 文藝春秋の3作品のうち、 伊坂幸太郎「死神の精度」、姫野カオルコ「ハルカ・エイティ」は予想通りであった。 文藝春秋は3作品が入ると豪語していたが、その3つめは東野圭吾「容疑者Xの献身」。 事前の予想では選考委員の時代小説への憂えに応える形で、城野隆「一枚摺屋」を 3番手に加え、容疑者Xは補欠の1番手とした。彼が過去の作品において選考委員に 作品の欠点を指摘され、嫌われたからだ。強く押せなかったのはその点であった。 他出版社からでは 集英社より恩田陸「蒲公英草紙」は予想どおりだったが、荻原浩が光文社から選出される というのはまったくの予想外であった。光文社からの候補作品など近年お目にかかって いないからだ。 てっきり集英社より「さよならバースディ」で選ばれると決め付けていた。 さらになによりもまったく眼中になかったのが、恒川光太郎 「夜市」だ。 takam16、不覚にもノーマークだった。角川書店は近年連続して直木賞候補作を 出しており、いろいろ予想したのだが、一押しの作品が見当たらなかった。 特に日本ホラー小説大賞作の恒川光太郎 「夜市」、これは彼のデビュー作。 デビュー作が選ばれる例に前回の三崎亜記「となり町戦争」があったが、それを考慮に 入れても本書は消した。他のブログでは彼の選出予想の記事も見られたが、 高をくくっていた。完全にしくじってしまったとしかいいようがない。 初選出作品を予想・推理するにはまだまだ修行が足りないらしい。 また、新潮社からの受賞作品がてっきりあると考えていた。 文春のライバルとは言われながらも、ノミネートにはよく挙がる出版社だからだ。 残念である。 ● 読みもしないのにとは言うけれど 「読みもしないのに直木賞....」などと強気に出ているが、実のところ、目を通している。 ちゃっかり読んでいることは告白しておこう。 あらかじめ選出作予想にあわせて、本を買い、あるいは借りていた。 先にも述べたが選ばれた6作品中読んでいないのは恒川光太郎 「夜市」だけだ。 なぜなら先に言ったようにノーマークだったからだ。 ● では推理に入る 確かに他の5作品は読んだ。うち2作品は記事のUPをした。 しかし、この直木賞の推理に内容や構成や笑いや涙などの感情移入は不要である。 あくまでも確率や傾向と対策が優先され、中身の話は二の次としよう。 直木賞は文藝春秋社がバックにつく賞レースだ。 そして、自社の売上に直結させることが彼らにとってのノルマである。 6作品中3作品が文藝春秋社からの選出だ。 特にここ数年、文藝春秋社選出枠の多さは目立ち、現在4回連続3作品が選ばれている。 そして実際に受賞するのも文藝春秋社が現在3回連続受賞している。 過去10年で文芸春秋社が受賞した確率 50% 過去 5年で文芸春秋社が受賞した確率 80% 近年、自社の贔屓がヒドすぎる。かつてはもっと他社にも開放的だった。 文藝春秋社の売上貢献とはいえ、あまりにも顕著すぎる数字は逆にいろんな疑いを持って しまう。例えば企業の業績の問題とか..... 恒川光太郎 「夜市」 (角川書店) すこぶる評判のよい作品だと聞く。ただし、デビュー作でいきなりの直木賞候補だ。 123回の金城一紀「GO」も確かにデビュー同然だ。ただし、著者は別の名前で 商業出版していた経験を持つ。 また、角川書店で初選出かついきなりの直木賞ということになると、 97回の山田詠美「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」まで遡らねばならず、 著書は決してデビュー作ではない。 唯一気になるのは、「夜市」に賞を与えた日本ホラー小説大賞 の選考委員に直木賞選考委員の林真理子がいることだ。 ちなみに彼女はこの作品を絶賛している。 他の選考委員に吹き込む可能性もなきにしもあらずだが、林真理子に他の聞き分けのない 選考委員を説得する存在感はまだ示すことはできないだろう。 ただし、本書のレベルは相当高いと読んだ人の多くが言っていることは確かだ。 しかし今回は見送り。次回作に期待したい。 荻原浩 「あの日にドライブ」 (光文社) 著者は直前の山本周五郎賞を「明日への記憶」で受賞した。山本賞と直木賞はライバル 関係にある賞であり、両賞の候補者の多くはカブっている。 今回、山本賞というチャンピョンベルトを巻いて、別作品で直木賞候補となった著者だが、 この場合、あるパターンが存在する。 山本賞を受賞した作家が直木賞候補にはじめて選ばれた場合、1度目は見送るパターンだ。 直木賞側としては歴史・伝統の面において山本賞を格下扱いにしたい。 本来は同レベルの賞であるにもかかわらずだ。よって、一度は直木賞は著者に試練 を与えるだろう。 今回は見送りだ。 伊坂幸太郎 「死神の精度」 (文藝春秋) 文藝春秋の1番手、近年の流れから今回の直木賞に最も近い作家の1人である著者。 4度目にして初の文藝春秋社からのノミネートだ。獲るべくして選ばれたという予想屋もいる。 しかし、ここは少し慎重になろう。 文藝春秋社の理想は、あくまでも初選出が文藝春秋社であるならば、喜んで自社から 直木賞作家を出そうという姿勢である。 つまり、初選出の出版社がその後の直木賞受賞出版社を左右するのだ。 伊坂幸太郎の初選出出版社といえば、新潮社の「重力ピエロ」だ。 最近20年間で新潮社初選出作家の文藝春秋作品受賞例は111回の海老沢泰久氏のみである。 しかも彼の場合、直前の山本賞で当該作品が受賞を逃したことに対する怒りの受賞だ。 * 新潮社主催の山本賞にノミネートされた海老沢泰久の「帰郷」は文藝春秋社の作品だった。 それはおかしいと文藝春秋主催の直木賞は自社作品の「帰郷」を直木賞にした..... と予想している また、直木賞はなぜか作家の作家歴のようなものにこだわる傾向がある。 他の2人、東野圭吾、姫野カオルコと比べると彼の歴史はまだ浅い。 以上より、今回は見送り。 東野圭吾 「容疑者Xの献身」 (文藝春秋) ならばこちらの文藝春秋作品はどうだろう。 正直小説分野においては久々に現在店頭でこれでもかとばかり山積みされ、 そして売れている。別の賞や雑誌の投票などでも1位に輝いている。 さらに著者の初選出は文藝春秋社だ。ここが伊坂幸太郎と比べて有利な点だ。 そして作家の実績を案外考慮に入れる直木賞の傾向を考えれば、 ここは無難に彼が受賞!! といきたいところだが、少し思案したい。 過去20年間に限定すると、22%、 過去10年間では 0% 過去5年間でも 0% この数字は文藝春秋社から2度候補作になったにもかかわらず受賞できなかった 作家の直木賞受賞率だ。 古くは商業出版前の雑誌連載の段階で直木賞候補となることが多々あった。 それも含めての文藝春秋作品ということで何度も落ち続けてようやく受賞するという 例はしばしばあったが、時代はもう変わった。 雑誌連載作品が候補作になることは限りなくゼロに近い。 よって、近年に絞って数字をチェックすると、東野氏はここで受賞すると いままで調査したデータにズレが生まれてしまう。 しかも以前よりこの件についてはさんざんブログでほざいてきた。 なのに東野氏は実績があって受賞にふさわしい.... などいえるわけがないじゃないか。 と少し感情が入ってしまったtakam16であるが、 ここはデータにより、今回は見送る。 姫野カオルコ 「ハルカ・エイティ」 (文藝春秋) 文藝春秋社からの選出で最も条件が揃っているのは本作品の著者である。 117回 文藝春秋 「受難」 落選 130回 角川書店 「ツ・イ・ラ・ク」 落選 134回 文藝春秋 「ハルカ・エイティ」 ? だれでもいつかは2度目の文藝春秋作品候補作にノミネートされるチャンスが 訪れる。前出の東野圭吾も以下のとおりだ。 120回 文藝春秋 「秘密」 落選 122回 集英社 「白夜行」 落選 125回 文藝春秋 「片想い」 落選 125回の2度目の文春選出はチャンスだった。しかし、この時、同じパターンの 作家がもうひとりいた。 藤田宜永 114回 文藝春秋 「巴里からの遺言」 落選 117回 講談社 「樹下の想い」 落選 125回 文藝春秋 「愛の領分」 受賞 馳星周が122回に同じパターンで受賞を逃した時、受賞したのは なかにし礼 119回 文藝春秋 「兄弟」 落選 122回 文藝春秋 「長崎ぶらぶら節」 受賞 黒川博行が121回に同じパターンで受賞を逃した時、受賞したのは 佐藤賢一 「王妃の離婚」 集英社 桐野夏生 「柔らかな頬」 講談社 これは推理だ。黒川氏のように姫野氏が受賞を逃す場合もあるかもしれない。 しかし、逃した場合には他の出版社からの受賞を考慮する必要がある。 しかしながら今回、他の出版社から選ばれる要素を見出すに適当なデータが見当たらない。 恩田陸 「蒲公英草紙」 (集英社) 連続入選に好感が持てそうだが、連続入選が受賞に直結する例はいずれかに 文藝春秋社作品が含まれている場合であり、また恩田氏の候補歴は 133回 角川書店 「ユージニア」 134回 集英社 「蒲公英草紙」 であるが、初選出が角川書店の場合、のちの受賞率はゼロである。 データはいつかは更新され、例外が生まれるものだが、 姫野カオルコの揃いすぎるデータの前では彼女の描く不思議な世界も無力といわざる をえない。 ただし、実は今回の直木賞は2作受賞の予感がする。 あまりにも文藝春秋に賞を与えすぎており、少し歯止めをかける必要があろう。 よって、他出版社からという選択では 最も受賞に近いのをあえて探すならば消去法により、本作品ではないだろうか。 確かに角川書店からの初入選作家に直木賞は冷たい。しかし一方で 連続入選において、いずれも他出版社の場合でも30%は受賞の確率があるのだ。 このようなデータを調べてなければ、直木賞作家は東野圭吾で決まりと自分は 言っているだろう。また、感情に流されて彼に獲らせたいと思うだろう。 しかし、彼の作品はただいま売れ行き絶好調だ。今更直木賞をあげたところで 文藝春秋の本作品の売上の伸びしろはたかが知れている。 それにひきかえ、姫野カオルコの作品は決して売れ行きが順調というわけではない。 また、値段を見れば1995円もする。文藝春秋3作品の中でも他出版社を混ぜても 値段は一番高い。 また、姫野カオルコの次回作がどうやら文藝春秋社から出るとの話もある。 ならば、次作のオビには 「直木賞受賞後第1作!!」 と思考停止もはなはだしい文句を付けることができるのだ。 これを見逃す文藝春秋社でもなかろう。 ● 結論 よって、134回直木賞受賞作品は 姫野カオルコ 「ハルカ・エイティ」 文藝春秋 → データによる裏づけ と推理する。無冠の女王は直木賞を本書の主人公となった亡き伯母に捧げるであろう。 また、2作品が選出されるのであれば、 姫野カオルコ 「ハルカ・エイティ」 文藝春秋 → データによる裏づけ 恩田陸 「蒲公英草紙」 集英社 → 他出版社受賞への個人的切望で中でも 受賞に近いデータ
|
takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... リピーターという言葉がある。 どんな商売でも新規顧客はもちろんだが、リピーター、つまりは 何度もお店に来店してくれる固定客をしっかりと確保しておくことは 極めて重要だ。 スーパーや美容院・理髪店、メガネ屋、本屋..... 彼らは固定客を失った時がそのお店の終焉だ。 本屋を例にとると、 本屋の問題は新規顧客獲得の困難さ以上に、いままで足を運んでくれた リピーターの著しい減少である。しかしながら あてにならない読書世論調査ではあるが、読書人口は決して減っているわけではない。 その理由は本の入手経路の多様化によるところが大きい。 それらはネット、電子本、古本、マンガ喫茶、レンタル本の普及であり、 特に電子本がここにきて急速な伸びを示している。 ネットや電子本などについては個人情報を相手に知らせ、業者が管理しやすく、 その結果、顧客の囲い込みに成功しているためにリピーター率は比較的高いだろう。 しかし、読書という枠組みで最もリピーター率の高くかつ、利用期間の長いものといえば それは図書館以外には考えられない。 図書館は「お客様」ではなく、「利用者」だ。だからリピーターという言い方が適している とは限らないが、とにもかくにも無料で一定冊数借りることができるのだ。 例えば図書館を訪れて2週間の期限で「満冊」借りたとしよう。 2週間後、図書を返却に訪れてそのままウチに帰ればいいものを 新旧入り乱れてのインクのニオイがこちらの鼻孔をピクピクさせやがる。 本の大きさにとらわれない背表紙置きはこちらの視線を釘付けにさせやがる。 インクに誘われてなぜか足が勝手に動きやがる。 そして手に雀の涙ほどの汗をかきながらも、ちゃっかり貸出しカウンターに並んでやがる。 図書館にしかできないその吸引力にtakam16、すっかりメロメロだ。 おかげさまで図書館で借りた本が自宅の本棚から姿をなくすことはない。 ず~っと返却と借り出しは繰り返されてて数年が経つ。 自分の貸し出し情報は毎年の図書館の貸し出し冊数の記録に納められる。もちろん 何十万という貸し出しの中の1人としてだ。 しかし図書館のリピーターとはそういうものなのだ。 無料の魅力はもちろんだが、図書館が放つ光は金銭的魅力以外にも十分ある。 ところでtakam16の図書館利用にはある特徴を持っている。 それは朝の開館から閉館1時間前まで居座ることだ。 月に6~8日ある休みのうちの最低2日はこの過ごし方である。 すると、毎日通う方には負けるがそれでもtakam16は立派なリピーターじゃないか、 常連じゃないかと自負するわけだ。 その一方で当然図書館員の顔ぶれもお馴染みなために、 「よく来る人ねぇ。」 などと思われているのではないかと考えるのだ。 こう見えて意外とそのようなつまらないことが気になるタイプの人間である。 そこで、図書館で長居しやすい方法を練りたくなるのが今日のお話だ。 そのような周囲の視線を消し去るには3つの方法があった。 まず試したこと、 それは特定の図書館司書と挨拶をかわす仲になっておくという手口。 相談コーナーに腰を据えるのは図書館員の中でも司書の資格を持ちかつ、ベテラン である場合が非常に多い。つまりは図書館職員内での存在度は高いはずだ。 相談コーナーは時間交代制だ。質問はあらかじめこちらで用意しておく。 実際、質問事項は山積みだ。 例えばブログの記事である本の記事を書くときに、当該書籍の背景を探るべく、 著者のインタビュー記事を探してもらう場合、司書を利用することにしている。 もちろん相談内容の目的は告げたりしない。 ブログ以外でもビジネス情報や歴史調査などでは司書を利用する。 ただし、司書は同じ方に質問することが肝心だ。 司書は質問の深さに比例するだけの働きをする傾向がある。 つまらない質問をすればそれ相応の応答しか期待できない。 質問が深く困難であればそれだけ懸命に探してくれる。司書の腕の見せ所だからだ。 すると相談で対面する時間が長くなってくる。 そこでいろいろな小話を挟みながら図書館業務の裏側や新しいネタを探ろうというのも 実は真の狙いであったりもする。 例えば新刊蔵書の納入情報をボソっと話してくれたり、 こちらの入荷して欲しい蔵書のリクエストに応えてくれたり といった厚かましさを発揮するには特定の司書に質問し続けることで できるひとつの特権だ。 本当なら誰が聞いても教えてくれるだろうが、貸し借りカウンターとの付き合いしか なければそのような要望を積極的に出せるには遠慮が生まれてしまう。 さて、次のターゲットは図書館内の警備員だ。 実は狙って挨拶のできる警備員をつくったわけではなく、 ある日図書館の座席で居眠りをしてしまった。 すると、肩をゆする感覚にふと目覚めたtakam16の側で 「兄ちゃん、体の調子でも悪いんか?」 どうやら2時間は眠り込んでいたらしい。寝顔があまりにもひどかったのか、それとも 死んでいるとでも思ったのかは定かではないが、そのようなことがきっかけで お話のできる警備員を図書館内に見つけることができたというわけだ。 いまでは挨拶を交わす仲だ。 館内の治安を守る人間によい意味で認知されるのは案外気分のいいものだ。 多少こちらが怪しいいでたちでも見逃してくれる。 決してしないが、もしも奇声を発したとしても大目に見てくれるだろう。 たいへんありがたいことである。 最後の3つめ。これはあきらかな確信犯的行動なのだが、 図書館の隣に喫茶店がOPENした。ちなみにそこは生涯学習センター内の一角なのだが、 その喫茶店をズバリ、実質的な読書喫茶としての場として使用したいというのが こちらの考えだ。そして何時間もその場を読書の場として気兼ねなく居座るという なんとも厚かましい手口だ。 そのためには少し忙しさの峠を越えた午後2時前後に訪れ、カレーライス&飲み物を 注文することであった。もちろん座席はカウンター。正面には従業員が漏れなくいるし、 そこは全国展開するような店舗ではない、個人のお店であることでチャンスは膨らんだ。 他愛のない話から入る。喫茶店の特に個人店の従業員はお客との世間話は嫌がらない。 おまけにお客という立場上優位に話を展開できる。 同じ時間、同じ座席、同じ注文、そして同じ従業員に1ヶ月で3度接した。 また滞在時間は徐々に増やしていった。 4度目のある日、カレーライスのご飯を大盛りにしてもらった。店側からのサービスである。 そして、ずっと接していた従業員は店のオーナー店長だということを知った。 これで読書喫茶のできあがりだ。 おかげさまで図書館を訪れて本を適当に選ぶとすぐさま喫茶店に駆け込み、 読書をさせてもらっている。コーヒーの一杯ぐらい当然注文するが、 公共施設の喫茶店は駅ビルなどの喫茶店の3分の2程度の料金でいただける。 また、図書館は無料がために利用するのが根底にあるため、 利用者はお金を払ってまで喫茶店に入ろうとは思わない。 従って喫茶店は昼を除いて常に空いている。 しかしながら当然喫茶店だ。誰もいないわけではなく、常連さんは他にもいる。 そして常連さんの多くはカウンターに座る。 訪れるたびにカウンターに座る常連さんが同じ顔なら会話のチャンスだ。 そして、その常連さんが実は図書館内の利用者の見えないポジションで仕事をする偉い人物 だとわかったとき、図書館のあらゆるしくみを知る絶好の機会を得たということになる。 図書館通いで人脈づくり。 どうやら2006年は通うのがますます楽しみになってきたようだ。 が、ちょっと待てと冷静になってみた。 こちらにとって都合が良いものでも相手にとってはどうなのかといういらぬ心配だ。 司書を1人に絞り込むようなことを言ったが、 司書の立場からしてみれば、なんで?ワタシって狙われてるの? と悩んでいたりはしないだろうか.... 確かに司書は美形だ。もしも司書が男だったらtakam16はどう扱っていたか という問題だ。う~む。 知り合いの警備員とこちらは思っていても、 相手としては、実は最重要人物のリストの片隅に入ってやしないか? 喫茶店での居座りは相手はずっといてくれていいよと軽い調子で言ってくれるが、 実は知らぬうちに客寄せパンダとして利用されている恐れあり!? といろいろ思案しながらたるみきった頬をなんとか引き締めなければと 鏡を見ながら腕組みをしている今日の管理人でございました。 追記) ただいま多忙のため、コメント返しの時間が取れません。 後日お返ししますのでしばしお待ちくだされ。 |
takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... 「2005年 読んだ本ベスト10」バトン というものがちまたで出回っているようだ。 順位を付けるのは個人的に実は好きではない。 ましてや本という主観の極みで構成された創作物を公平に判断することは 不可能だ。 しかし、自分の印象度を比較として考えるのであればベスト10は可能だろう。 設問があるらしい。設問はアドリブであるべきであると考えている自分にとっては 正直息苦しいが、だからといって新たな設問を生み出せるのかと言われれば、 現状では黙秘権を行使する以外に方法はなさそうだ。 よって言うとおりにする。 【Q1】 2005年に読了した本の中で印象に残ったものを教えてください。 本の刊行年度は問いません。 【Q2】 これらの作品について簡単に解説してください。 ------------------------------------------------------- 第1位 「香田証生さんはなぜ殺されたのか」 下川 裕治 新潮社 民主主義とは多勢に無勢の世界だ。少数意見は結局は捻りつぶされてしまうのだ。 世間とはそういうものだ。 香田証生氏は危険なイラクに行った。そしてイラク聖戦アルカイダ機構により 日本の自衛隊撤退要求のカードの1つとされた。そして殺された。 世間は彼に対して大変酷かった。そして、WEBの世界ではこれでもかと言わんばかり の「恥知らず」「迷惑」「アホ」「死ね」.... 自分は実を言うと少数意見の側だ。 事件当時はブログを始めていたので彼について書こうと思ったがためらった。 WEBの多勢に自分は無勢だからだ。自分のサイトも攻撃されると思ったからだ。 彼の行動の賛否の決定打はイラク行きの「目的」にあった。 目的がイラクのためならよし、イラクのためでなければダメ、 目的が第一で、命は二の次にされた。そんなの聞いたことがない。 これぞまさしく日本の現状だ。そしてそれをアオったのはほぼすべてのマスコミだ。 著者は世界中をバックパッカーとして歩く男だ。 この事件を著者は日本で知った。一方、同年4月の人質事件は海外で知ったという。 この自国の彼に対する風当たりを著者はどう感じたのだろう.... 香田証生氏をバックパッカーと位置づけて、ニュージーランド、イスラエル、ヨルダン と彼の足跡をたどった。そこで見えてきた著者のバックパッカーからの視点、 旅人としての香田証生。 自分は元は旅行社勤めの経験を持つ。しかし主に扱った仕事はツアー旅行だった。 つまりは安全・安心だ。一方のバックパッカーには危険・独りだ。 香田証生氏へのバッシングへの疑問に加え、バックパッカーとしての香田証生氏の心のうちを 思う著書に元旅行社員が興味を抱くのは自然の流れである。 注意してほしいのは、香田証生氏の殺された原因を科学的、論理的に記述した書ではない ということである。あくまでもバックパッカーの気持ちに照らし合わせた 「旅」というものへの著者の考えを述べたものである。
|
takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... 生きている人間に必ずあるもの、 過去、現在、未来。 その中で過去と未来は人の生きた年齢に関係する。 歳を重ねるにつれ、人は過去の量が増加し、未来の量が減少する。 過去という量は年齢という数に比例する。 一方で、未来という量は年齢という数に反比例する。 本来であればこれがスジなのであろうが、日本に関して言えば、 この定説がずっと以前から崩れているようだ。 例えば若者の自殺者が非常に多い。 それは未来に希望が持てないことが理由の1つと言われている。 若いのに未来が小さいという矛盾である。 しかし、希望が持てないことがすぐに「死」につながってしまうという 発想はやはり訝しげに見てしまうが、それは彼らの問題というよりは、 周囲の問題、社会の問題と考える方がよさそうだ。 自殺をするという行為ではなく、自殺をしたいという思考の背景を探らな ければ、この流れは止めようがない。そして自殺をしたいという発想が 浮かんだ時点で彼らの心はすでに八方ふさがりの状態だ。 誰かの手助けがなければ実行にうつすのはきわめて早い。 自殺をした人間を、自殺をした本人に問題があるという論調を耳にするが、 それはまさにいまハヤリの「自己責任」という言葉の負の部分であるだろう。 戦争を経験した国ゆえにしばしば比較される平和という言葉。 しかし平和であるからこそもっと考えたい「命の大切さ」が大変希薄であるのが 今の日本という国なのか。 だからこそ大切にしたいもうひとつ、 年齢にかかわらず、常に数量が変わらないもの、 それが現在である。 しかしながら現在は過去や未来に非常に左右されやすい微妙な位置づけである。 現在は過去や未来を十分に背負って存在する。言い換えれば、過去や未来なしに現在は 成立しない。そしてそれらのバランスの良し悪しが現在を決定するのである。 今そのバランスが崩れている。 人は多いもの、つまりは多数決が正しい、安心と解釈しがちなため、 例えば崩れたバランスを持つ者が多ければ多いほど伝播しやすいのだ。 オレもオレも、ワタシもワタシも。 幼女の誘拐や母親による子供の虐待などは同じことをする人間が多いとつい 安心してしまい、みんなもやっているから自分もという流れをつくりやすい。 人間にモレなくつく過去、現在、未来。 特に過去を陰部と位置づけるとちょっとしたミステリーができるというわけで そういう作品はただいま垂れ流しのように乱発している。 だからであろうか、それらを明るく描いた物語に希少価値があると思い、 出会いを望んでいたのであるが、最近そういう本を読む機会に恵まれた。
|
takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... 2006年が始まりました。 子供の頃と比較すると、歳を重ねるにつれ、時間の進み方が 異様に早く感じるようになりました。 今年こそは毎日をじっくり噛みしめながら過ごしていこうと 考えております。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 お正月は皆様、帰省かご旅行以外ではご自宅でゆっくりくつろいでいる かと思いきや、案外お買い物に街へフラフラと出かけたくなるもの。 かつては1月1日にお休みだった各スーパー、ショピングモールも 無理やりシフトされたアルバイト、パート達の不満を背負って営業を しております。 本屋でもそれは例外ではありません。 働いていた本屋ではもちろん正月もしっかり開店。 アルバイト、パート管理業務をしていたtakam16としては、 12月になると彼らをいかに正月にシフトに入れさせるかについていろいろ 思案するわけです。 パターンはいつも一緒。 主婦パート達は、主婦の権限を最大限に利用して、長期休暇を主張し、 そのために標的にされる学生アルバイト達は、主婦達のわがままと 不公平な扱いを受けたことへいいかげんご立腹。 主婦達が、実家へ帰るだの旅行に出かけるだのという口実を時間帯の関係上、 彼女達と共に仕事をすることのないことを利用して、学生バイトはシフト担当者 であるtakam16に 「主婦Aさんが実家に帰るというのは真っ赤な嘘です!」 と古い言い回しながらも先制口撃を仕掛ければ、主婦Aはお返しとばかり 「学生なんて冬休みで暇なんだからどんどんシフトに入れちゃいなさいよ!」 とこちらも自らが正月に仕事なんかさせられちゃ~たまらないと言う。 この醜い泥仕合、真正面からやってくれりゃ~楽なのに、 全部takam16経由というのがなんともやるせない気分。 そして今度は酒のせいですっかり水太りの店長どのが 「僕、正月休みますからヨロシクッ!!」 ゲホッ、ゴホッ。 世の中で最も汚染された空気を胸いっぱいに吸い込んだら体全体に毒素がまわって しまった気分と同じぐらいブルーな瞬間。 店長という肩書きをここで使わずにどこで使うと言わんばかりの絶妙のタイミング。 そんなやりとりが12月に入ると盛んに飛び交う。3者の駆け引き、まことに あっぱれぇ~♪ 日々の駆け引きに翻弄され、同時に師走の忙しさに追われる中、 学生達が冬休みに入る12月下旬になると一時的にではあるが、彼らは 主婦達とも顔を会わす機会がある。 12月に入ったとたん、休みの奪い合いを間接的に披露した両者。 さぞかしお互いへの警戒心も強かろうと思いきや、レジ奥で なんと店長も交えて談笑に花が咲いてやがる...... 薄っぺらくも笑顔だけはちゃっかりマニュアル化されたその談笑風景に 「は、ハハハハハッ.....」 笑いもいいかげん乾ききってしまう。 で、シフト担当のtakam16も心の中ではいかに正月を悪意なく休もうかと 色気を出したかったのだが、なんだかこの談笑風景がシフト担当者を地獄に陥れる ための臨時的な結束にしか見えなくなってしまうのだ。自らも邪な心を持つゆえの 単純な思考回路......... シフト作成の過程で 主婦に嫌悪され、学生にののしられ、店長に無視されるという逃げ場なしの12月。 そうして四苦八苦した挙句、無念にも選ばれし数名の無気力な店員達が 普段にも増して無気力な風貌、態度で店頭を殺伐とさせている。 2006年の正月を仕事で過ごす日々だったtakam16。 意外に多い立ち読み客にまみれて、先に映る互いの視線を合わせようとしない 店員達の一挙手一投足を観察しながら、かつて書店でシフト担当であった自分と この本屋のシフト担当者を重ね合わせていると、どうしようもなく ニヤニヤと表情が緩み、さっそく周囲に不信感を抱かせるのでありました。 つくり話で固められた主婦達のお正月.... すでに修復不可能な学生達との関係.... 正月は酒にまみれたヘビー級店長のあの体型..... 2002年正月回顧 自分にとって立ち読みとは、こうもむなしくせつないものでして..... |
takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... 前回の記事はこちら
|
takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... 第134回直木賞受賞候補作の発表は年明けの週末、 そして直木賞の最終選考会は1週間後の木曜日に行われ、 受賞者とその作品が発表される。 候補者のもとには12月の中旬までにはすでに封書か何かで 知らせが届いているはずだ。 候補作品の一般向けの発表が来年というだけのことだ。 当ブログでは10月より数回にわけて 「読んでもいないのに次期直木賞受賞作を推理する」 などと大それたタイトルで皆様にお付き合いいただいた。 「読んでもいないのに何がわかるのか?」 という意見が多々あるのは承知の上である。ならば逆に質問しよう。 「読んだら何かわかるのか?」 創作物というデリケートなシロモノを評価するのは機械ではない。 人間なのだ。しかもその人間はただの人間ではない。 「物書き」というこれまたデリケートな創作物を生み出す人間が評価 するのである。 よって、どれだけ感動を呼ぶ作品であろうと、どれだけ本屋で売れ筋と 言われようと、彼らの持つ主観がすべて優先される。 そして彼らの持つ主観は凡人の理解を超越したものだ。 過去にどれだけ優秀だと言われた作家が受賞を逃しているか、 世間にたっぷり認知された作品がどれだけ受賞できなかったか、 数えるだけ時間の無駄というわけだ。 凡人の理解を超越した主観を持つ彼ら、つまりは直木賞選考委員は 現在以下のメンバーで構成されている。 阿刀田高氏 70歳 1995年より選考委員 五木寛之氏 73歳 1978年より選考委員 井上ひさし氏 71歳 1982年より選考委員 北方謙三氏 58歳 2000年より選考委員 津本陽氏 76歳 1995年より選考委員 林真理子氏 51歳 2000年より選考委員 平岩弓枝氏 73歳 1987年より選考委員 宮城谷昌光氏 60歳 2000年より選考委員 渡辺淳一氏 72歳 1984年より選考委員 直木賞にしばしば言われる問題点の1つは選考委員達の高齢化である。 実際、直木賞候補に名を連ねる作家はたまに20代や50代以上の年齢の方が 候補になることもあるが、多くは30代~40代に非常に多い。 それに比べて9名の選考委員のうち6名が70代である。 この点において、年齢にはもっとバラつきがあった方がよい。 歳がその人の評価のすべてとは毛頭思わないし、文学の世界が年齢とともに 蓄積される人生経験がゆえに深みのある世界を構築できることはまぎれもない 事実であろう。 しかし、昨今の情報化社会における急激な社会の変化のおかげで 世代間ギャップというものが日常生活にしばしば見られることを考えるならば、 文学作品においてはよりいっそう世代の違いゆえに生まれるギャップは甚だしい。 選考委員側が候補者側に積極的に心を開くのであればよいが、選考委員もそれぞれ 選考基準を持っているはずで、さらにその基準に変化はさほどない一方で彼らは 確実に歳をとっていくのだ。 「最近の若手作家は.....」 などという言葉が出る度にそれを感じてしまうのである。 そして選考委員の上記のの高齢化の手助けをしているのが、2つめの問題点である 「選考委員生涯現役制」だ。 4~5年に一度は選考委員の入れ替えは必要だ。 なのに、この制度では選考委員が辞退を申し出ない限り、死ぬまで選考をすると いうわけだ。 短いものでは3名が2000年より選考委員をしているが、もう5年もやっている。 渡辺淳一氏は21年、井上ひさし氏は23年、そして五木寛之氏にいたっては なんと27年間も選考委員の座にいるのだ。 はたしていつまでやるつもりなのか。 各選考委員には選考基準があり、当然ストーリーや文章の構成、候補者の個性に 好き嫌いが生まれるのは自然である。歴史や伝統は確かに大切だ。しかし このあまりにも保守的な姿勢は新たなものを生み出す力の邪魔になりはしないだろうか。 いいかげん、ルールを変えたほうがよい。 これだから当ブログのように傾向や対策、データにこだわった推理が可能なのだ。 批判と同時にこの場でお礼も申し上げたい。 読んでもいないのに次期直木賞受賞作を推理したくなる理由はこの保守的ゆえに 生じる受賞パターンというものがあるからだ。 ただしそれを言うならば、最終選考委員よりは2次選考の文藝春秋社員に物申した方が よいのかもしれない。 直木賞の選考過程を確認しておこう。 ①関係者350人によるアンケート調査 ↓ ②文藝春秋社の社員数十名が下読み&議論し、評価し、候補作決定 ↓ ③海千山千の選考委員による2時間の議論・話し合いで受賞作決定 毎回5~7作品選ばれるのが一般的だが、ここ最近の傾向は7作品が選出される。 よって今回も7作品が候補作として選出されることを前提に話を進めていく。 現状では候補作予想である理由から ②の2次選考委員の腹の中を予想しながら考えていきたい。 まずは7作品をどう出版社別に振り分けるかだ。 上記の直木賞選考過程の①と②はクセ者だ。 アンケートや投票のみなら正しい数字が出るも、議論や評価までに物事が及ぶと 特に②の文藝春秋社員の存在が腑に落ちない。 出版社が主催する賞ならば、自分の出版社の作品にできるだけ有利になるように 仕向けることなど簡単だ。 過去の直木賞候補作においても、前回は7候補中3候補、前々回も7候補中3候補 が文藝春秋社の作品だ。 よって今回も3候補を文藝春秋社、あとの4つを他出版社と推理する。 まずは文藝春秋社の候補作予想を行う。
|
takam16の本の棚 です。バーチャルですが...... 1テーマ5つ。その5つに順位はない。 あくまでも5つは限りなく等しい。 ①[管理人の外出時、漏れなく付いてくるファイヴ] 1 タオル 吸収力が極めて悪いハンカチの類では、帰宅時にはもうビショビショだ。 2 耳栓 集中力には欠かせない必需品。なぜか仕事中にもしていることがあり、 耳が遠いと人は言う。 3 ペットボトルにウーロン茶 おかげでトイレが近うございます。タオルがビショビショになる原因も ここにあり。 4 付箋 実はネタ集め。元来は仕事の発想の補助的役割も、いつのまにやらブログ のパートナー!? 5 3色ボールペン 色分けしながら付箋に記入。黒ばかりが減って困っている。 ②[使用頻度の高い化粧品・医薬部外品・医薬品ファイヴ] 1 8×4 春夏秋冬シュッシュシュッシュ♪。以前8×4臭いと言われたことがある。 2 養命酒 1500円台の特売の時期を常に狙っております。 3 正露丸 お腹を下すことが多いため、使用頻度が増しております。 ただいまニオいの出ない正露丸トーイエーにご熱心。 4 シーブリーズ こちらはシャンプー前に使用する毛穴スッキリクレンジング。 イキイキとした健康的な髪を育んでおるつもりです。 5 デパス 肩こり等は病院から出るこの薬ですべて解消されます。 市販では売ってないのであしからず。 ③[お気に入り女優ファイヴ] 1 長澤まさみ 彼女の出演するTV番組は他のどのような番組にも優先されます。 2 小川範子 子役時代からほとんどなにも変わっていません。 本の読み聞かせは彼女にお願いしたいものです。 3 宮本信子 故伊丹十三の妻。マルサの女、スーパーの女などの作品での演技を 拝見すると、人に元気を与えてくれます。悲しい役より断然楽しい役 でこれからもお願いします。 4 国仲涼子 思いっきり純情なイメージでCM出演がやたらと目立ちはじめています。 個人的には耳は出さない方がいいかと.... 5 櫻井淳子 魅力は顔で演技できるところ。次の日に顔が筋肉痛なんてことがありそうな... ④[DVDに録画してまとめて一気に見たいアニメファイヴ] 1 未来少年コナン コナンといえば、やっぱりこちら。誘拐されたラナを取り戻すためコナン達が インダストリアに潜入するあたりから俄然盛り上がります 2 トム・ソーヤの冒険 こちらもインジャン・ジョーが人を殺すシーンあたりから管理人はヒートアップ します 3 みなしごハッチ ハッチを襲う動物達がまるでケダモノのようにみえます。 特に人間はバケモノです。 4 ミスター味っ子 味王が口から火を吹くシーンは毎度爆笑しております。ちょっとやりすぎの感も... 5 マイッチングマチ子先生 プチエロエロですみません。 ⑤[最近の疑問ファイヴ] 1 アニメキン肉マンにおける当初は残虐極まりなかったはずのラーメンマンが 第2回超人オリンピックにおいて突如無口でシブイラーメンマンに変わったわけは なんらかの圧力? 2 キャスターの草野仁がやたらと体を鍛える理由 3 あまりにも選手のプライベートエピソードを乱発するマラソン解説増田明美 4 なぜ女性はタバコを美味そうに吸わないのか?吸う時の渋い顔にはご用心。 5 負けてもよく頑張ったで済ますバレーボール中継。そんなことで 強くなれるはずがない。 5 × 5 で 25。 今日は25日。まことに恐縮です。 注意) このテーマはバトンではありません。 |