takam16の本の棚
です。バーチャルですが......

とうとう、我が大阪にも雪合戦ができる下地が整った。
朝起きたらそこは雪国だった。
今日が終業式の子供は2重の喜びだろうが、
こちらとしては早く家を出ねばならず、しかも雪道に不慣れである。
スキーやスケートといった滑りモノを怖がりのせいで不得意としている
takam16にとって、試練の1日が今始まろうとしている....(←アホ)
(AM 5:20)
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直木賞といえば、文藝春秋社を母体にした文学賞である。
その名が世間によく知られる理由は133回という歴史と伝統に支えられた
からと言っていいだろう。
一方、文藝春秋社とは週刊誌や文庫、新書等でライバル関係にある出版社
の1つに新潮社がある。
その新潮社も文藝春秋の文学賞の最右翼である直木賞に対抗したかどうかは
定かではないものの、かなりこの伝統ある賞を意識し、ライバル視していると
思われる文学賞を持っている。それが
山本周五郎賞である。

しかしながら、認知度の点では直木賞の足元にも及ばないようだ。
なぜなら、山本賞はまだ18年の歴史しか持たないからだ。
かたや60年以上の歴史を誇る直木賞。
本に明るくない友人などに山本賞の存在について尋ねるのだが、
どうも切れ味良い答えは返ってこない。
一方の直木賞なら「あ~、ハイハイ。」である。

山本周五郎賞と直木三十五賞、大きな違いは、直木賞が1年に2度あるのに対し、
山本賞は、年に1度の賞である。そのうえで、

・小説が対象
・小説以外が選ばれることもある
・対象期間は前年4月~本年3月
・発表は5月

直木賞は大衆文学が対象なため、山本賞の方が期間も範囲も広い。

ここでちょっと山本賞受賞作家の顔ぶれを見てみよう。

18回 荻原浩   「明日の記憶」                            光文社
    垣根涼介  「君たちに明日はない」                    新潮社
17回 熊谷達也  「邂逅の森」                              文藝春秋
16回 京極夏彦  「覘き小平次」                            中央公論新社
15回 吉田修一  「パレード」                              幻冬舎
    江國香織   「泳ぐのに、安全でも適切でもありません 」 集英社
14回 中山可穂   「白い薔薇の淵まで」                      集英社
    乙川優三郎  「五年の梅」                              新潮社
13回 岩井志麻子 「ぼっけえ、きょうてえ」                  角川書店
12回 重松清     「エイジ」                                 朝日新聞社
11回 梁石日     「血と骨」                                幻冬舎
10回 真保裕一    「奪取」                                  講談社
    篠田節子    「ゴサインタン」                          双葉社
 9回 天童荒太    「家族狩り」                              新潮社
 8回 帚木蓬生    「閉鎖病棟」                             新潮社
 7回 久世光彦    「一九三四年冬 乱歩」                    集英社 
 6回 宮部みゆき  「火車」                                  双葉社
 5回 船戸与一    「砂のクロニクル」                        毎日新聞社
 4回 稲見一良    「ダック・コール」                        早川書房
 3回 佐々木譲    「エトロフ発緊急電」                       新潮社
 2回 吉本ばなな  「TUGUMI」                          中央公論社
 1回 山田太一    「異人たちとの夏」                         新潮社         


長くなるのでここには示さないが、候補作品は4~6作品。身内に優しいのは
文藝春秋社の直木賞と同様で、18年間新潮社の作品が候補を外すことはない。
ただ、受賞傾向が直木賞の場合、はっきりと身内に偏りがちである点において、
山本賞は他出版社の受賞も多い。光文社や双葉社で受賞できるなど、直木賞には
考えられないことである。よって、おいしいデータが揃わない。


赤字は、山本賞、直木賞の両方を受賞した作家である。
22人中、8人、つまり36.3%が山本賞と直木賞の2つを獲っている。
数字を見る限り、40%弱の確率で両賞を受賞できるのだ。

しかしながら、ここで大切なことがある。
どちらの賞を先に獲ったかという問題だ。
賞レースというものは他のさまざまな新人賞や文学賞の受賞を経て、結果的に
山本賞、直木賞候補作にまでこぎつける場合がほとんどである。

各賞の受賞という経験を引っさげて山本賞、直木賞候補となり、最終的に受賞する
ということは、ライバル関係といわれる両賞にとっては先に相手が賞を与え、あとで
自分が賞を与えた方が、知らない者が見たときに自分の賞の価値が上であることを
誇示することができるのだ。

そこで調べてみると、上の赤字の8名の山本賞&直木賞受賞作家は

みんな、山本賞 → 直木賞 の順序を経ているのだ。みんなである。100%だ。


そして、以下のようなパターンがしばしばある。
例えば江國香織氏の場合、

 10回山本賞 候補止まり 「落下する夕方」             角川書店          
 13回山本賞 候補止まり 「神様のボート」             新潮社          
 15回山本賞 見事受賞  「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」 集英社 
127回直木賞 候補止まり 「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」 集英社
130回直木賞 見事受賞  「号泣する準備はできていた」       新潮社

このデータでは候補作も含めて山本賞のあと、直木賞という順番だが、
実際は山本賞候補、直木賞候補と交互に選ばれながらという形が多い。
また先に直木賞候補になり、あとで山本賞候補ということももちろんある。
しかしここで重要なことは、あくまでも山本賞を受賞して初めて直木賞の受賞
の道が開けるわけで、直木賞を受賞した作家がのちに山本賞候補や受賞者となることは、
山本賞が始まって以来、一度もないということである。

そしてより細かく見ていくと、
15回に山本賞を受賞した「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」
が、直木賞においても候補作になりながら、受賞できなかったという点に注目したい。
江國 香織
泳ぐのに、安全でも適切でもありません
山本賞で受賞した作品が、直木賞で候補作止まりに終わる例としては4例あるが、まずは3例 江國香織  「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」 集英社 梁石日   「血と骨」                幻冬舎 久世光彦  「一九三四年冬 乱歩」          集英社 これらの場合、最終選考委員の常套文句は決まって 「この著者の作品は他で賞を獲っているから今回は....」 である。ならば最初から候補作に入れるのは筋違いだろうと思うのだが。 ところがこの文句に照らし合わせるとどうしても気に入らないのが、 熊谷達也氏が「邂逅の森」で山本賞を受賞したにもかかわらず、 直木賞を受賞したことである。これが先の3例プラス1例の合計4例だ。 その理由は明白だ。なぜなら、「邂逅の森」は文藝春秋社による作品なのだ。 ライバルが山本賞を与えてくれたのだ。ウチが与えることでW受賞という初の快挙を 成し遂げることができるのだ。受賞させるのは当然だと考えるべきだ。
熊谷 達也
邂逅の森
こういうパターンをここでは「ごっつぁん受賞」と言おう。苦労せずとも獲れた直木賞。 新潮社さん、ウチの作品を選んでくれてありがとう!! ということだ。 ただし、「邂逅の森」も含め、熊谷氏の作品はどれも力がみなぎり、もしもここで直木賞を 獲れずとも、別の機会に直木賞は獲れたとフォローしておく。 ライバル関係ゆえに、一方が歩み寄れば他方も準ずる。そんな例が他にも見られる。 東郷隆氏は11回山本賞において文藝春秋社の作品で候補作となった。受賞までとはいかなかった ものの、そのお返しなのか、直後の119回直木賞では、今度は新潮社の作品を候補作にさせた。 こちらも受賞にはいたらなかった。これはいわゆる取引か? 8回山本賞では高橋直樹氏が文藝春秋社の作品で候補作に選ばれた。それではということで、 直後の114回直木賞では文藝春秋社の雑誌連載より初選出された。両方とも受賞はできな かったが、 「認めてくれてありがとう。」という心が見え隠れする。 その一方で、「ふざけるな受賞」というのがある。例えば、 7回山本賞で海老沢泰久氏は文藝春秋社刊の「帰郷」において、候補作に選ばれながら受賞を逃した。 すると、直後の111回直木賞では同じく「帰郷」で直木賞を受賞した。 もしも山本賞で「帰郷」が受賞していれば、「ごっつぁん受賞」により、すんなり事は運んだのだ。 山本賞に対し、格が違うのだと言わんばかりの受賞に感じた。
海老沢 泰久
帰郷
また、直木賞候補に選ばれながら受賞を逃した作品に山本賞が賞を与える場合がある。 京極夏彦  「覘き小平次」  中央公論新社 篠田節子  「ゴサインタン」 双葉社 宮部みゆき 「火車」     双葉社 この場合、宮部みゆき氏以外の2人は直後、あるいはその次の直木賞において別の作品で受賞した。 もしも山本賞を受賞していなければ、どのような結果になったのだろう..... 直木賞側としては、山本賞はどうしても自分より格下に置きたがる傾向がある。 上記の山本賞受賞者22名のうち14名はのちに直木賞作家にはなれなかったが、 14名中、 中山可穂、 岩井志麻子、梁石日、真保裕一、天童荒太、久世光彦の6名は のちに直木賞候補となったものの、選考委員のお気に召されず、 残りの8名はお呼びがかからずである。 ただし、吉田修一氏に関しては、文藝春秋社の2枚看板の1つ、純文学新人作家が対象の芥川賞を 受賞しており、芥川賞受賞作家は直木賞受賞作家にはならないため、彼は省かれる。 また、のちに直木賞を受賞した8名のうち、 江國香織 乙川優三郎 重松清 宮部みゆきの4名は山本賞直後の直木賞受賞を見送られている。 そして改めて直木賞受賞という流れになっている。 山本賞の受賞を認めたくないという裏心に見て取れる。 直木賞側にとっては、山本賞は目の上のたんこぶの存在のようだ。 よって、そうは簡単に直木賞は受賞させてくれない。 しかし、山本賞側が歩み寄ってきた場合、直木賞側はそれを素直に受け入れる。 また、山本賞側も自分達は直木賞の受賞ステップの1つであると位置づけていると 考えざるを得ない。直木賞を受賞した場合、山本賞はその直木賞作家をのちに候補にも 入れないのだから。 以上より、 134回直木賞候補作家について考えるならば、 18回山本賞受賞作家の荻原浩氏が今回の直木賞候補作に選ばれる可能性がある。 「あの日にドライブ」は直木賞とは縁の遠い光文社からの出版だ。 よって、集英社刊の「さよならバースディ」が予想されるが、 直木賞側としては、山本賞を事実上格下と見ている。そして、荻原浩氏はこれまでに 直木賞候補に選ばれた経験はない。そのため、山本賞を獲ったから直木賞をというの では、直木賞側のプライドが許さない。候補作の余地は残すが、受賞となると問題だ。 見送りが無難であろう。 同じく18回山本賞作家の垣根涼介氏は今回は対象期間に作品の発表 がなかった。
荻原 浩
あの日にドライブ
 
荻原 浩
さよならバースディ
ちなみに過去の山本賞候補止まりの作家で今回直木賞候補になりそうなのは 伊坂幸太郎 梨木香歩 の2人。 勝手な候補作予想はほぼ絞られた。 <謝辞> 12月に入り休みがなく、会社での泊り込みもしばしばで、 また年末年始も働く予定ですので、更新が急激に滞っております。 皆様のところへの訪問もままならず、どうもすみません。
 

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です。バーチャルですが......

なんだかちまたでは
「都道府県バトン」なるものが流行っているらしい。
いままでバトンを受けてもすべて断ってきたために
断られるのが嫌な方はこのブロガーにバトンなど渡してなるものかと
思っているだろうか.....

しかし、自分のペースを狂わされたくないというのが管理人の考え方。
そのため、やってみたいと思ったら頼まれなくてもやるのも管理人の考え方。
ここは元添乗員ということもあり、都道府県バトンにはやけに鼻息が荒い。


というわけで、誰にもバトンをいただけなくともやってしまおう!

「勝手に、都道府県バトン!!」


<北海道地方> 
北海道  ○
プライベート。
舞鶴(京都)~小樽間を結ぶ新日本海フェリーに自家用車を積んで行きましたよ。
野朗8人による北海道1周旅行。北は稚内から南は函館まで。
スピード違反で2度捕まった友人。一時不停止で2度捕まったtakam16。
なんでやん!
ちなみに8月のこの旅行。最も印象的だったのは、道南に密集する馬牧場。
故ナリタブライアンの見学に訪れたものの、牧場従業員が我々に向かって
「お前ら、写真とか撮ったらいかんぞ。見るだけだからな!!」
との脅し文句に友人の1人はちびったらしい.....
なにがちびったのかはいまだ謎である。


<東北地方>
青森 ○
仕事。
東北2泊3日の旅。お客チャマの宿泊が青森ロイヤルホテルでした。
高原にそびえ立つリゾート風のホテルの外観を思い出すも、降り立った空港が
仙台空港。そこからバスで一目散。なんでやねん!

岩手 ×

秋田 ○

宮城 ○
仕事。日本三景の松島でござい~って、なんでどしゃぶりの雨やねん!

茨城 ○
仕事。水戸の偕楽園に観光バスで到着。天気は良好も、現地の写真屋と
観光写真を撮る撮らないで大モメ。のちに契約違反ということで始末書。
もう行くこともないだろう。

山形 ○
仕事。サクランボが鼻の穴に入るか試して見事にスッポリおさまった。
お客チャマ大爆笑。えがったえがった。

福島 ○
仕事。尾瀬ハイキング通り抜けツアー。福島から入り群馬に抜ける。水芭蕉
を筆頭にすばらしい植物群。そして澄みわたった空気。
お客チャマがみんなオバチャマだったことにチッと舌打ち。
若手が1人ぐらいいてもえやろ!

<関東地方>
千葉 ○
仕事。
渋滞につかまり、成田空港の飛行機の出発時刻に遅刻。ところが飛行機は
事前に電話連絡しておくと待ってくれるのだ。10分待たせて飛行機に乗り込むも、
一般客大激怒。どうやらここは土下座の出番らしい。

東京 ○
プライベート。
東京駅のエスカレーターで右寄りに位置していると、
「ちょっと左側によってくれない?(語尾上げる)」
関西人ゆえ、正直に言わせてもらう。男の東京弁はキモくてそしてキショいねん。
ちなみに文字に明るい読者様が多い東京都でございます。

神奈川 ○
中学時代の修学旅行先の1つ。友達が一時行方不明になりました。(怪)

埼玉 ×
友達が嫌々転勤していきました。元気かい!!

栃木 ○
道端に群がるサルをなんとかせぃ。

群馬 ○ 
仕事。草津温泉。某ホテルで部屋のWブッキングにtakam16キレる。


<中部地方>
新潟 ○
プライベート。大学時代、競馬をしに大阪から車で新潟競馬場へ。公共機関でお越し
下さいが一般的も、ここに限っては「お車でお越し下さい」。
だから車でやってきたけど、結果はボロ負け。高くついた旅行だことで.....

山梨 ×


静岡 ○
富士登山に挑戦も、6合目あたりから高山病もより頭痛がひどく、7合目で断念。
登った山の中で最も花鳥風月の楽しめないという意味で日本一。

富山 ○

金沢 ○
プライベート。我が父上、ホテルの粗末さに激怒。子供takam16も止めるに
止められず、どうなることかと思いきや、ホテル側が値引きをすると言ったとたんに
ご機嫌麗しゅう。激怒は偽造か!?
こちらのけんの読者様も多いです。

福井 ○
プライベート。勝山スキー場にて、初スキーだったtakam16はリフト待ちで並ぶ群集の
一角にそのままつっこみ、相手に大ケガをさせてしまう。もうスキーは2度としない。

長野 ○
仕事。善光寺参りのツアーはよく行きました。しかし夜行バスツアーに
ご老人達の健康状態はすこぶる悪いご様子。ついでにご機嫌まで。
しんどいと怒られました。

岐阜 ○
プライベート。妻籠、馬籠のウォーキングに参加しました。
あれ?長野だったかな、ここは??

愛知 ○
仕事。武豊という地名がある。「たけゆたか」と紹介し、後日お客から苦情をいただいた。
σ(^_^;)アセアセ...
こちらの件が最も読者様が多いと認識しております。


<関西地方>
滋賀 ○
プライベート。琵琶湖一周原チャリ旅行をした。途中でガス欠となり、キレる。

三重 ○
桑名市になばなの里というレジャー施設がある。そこのベゴニアガーデンを訪れれば、
そんじょそこらの植物園など「へ」以下である。

奈良 ○
どんな彼女ともはじめて行くデートコースはいつもシカだらけの奈良公園と決まっている。
動物の存在でデートを盛り上げる作戦だ。

京都 ○
そういや、京都の記事のUPが止まってしまった理由は、友人から待った!!が
かかったからです。すみません。

大阪 ○
takam16はここに生息しております。
しかしながら、大阪府の読者様は大変少ない模様です。

兵庫 ○
そらぁ甲子園球場があるからなぁ。
は~んし~んタイガ~ス~♪

<中国地方>
岡山 ○
倉敷美観地区でオバチャン集団に囲まれました。
オレがいったい何をした!!

鳥取 ○
仕事。鳥取砂丘という観光地はどうも魅力を感じない。
もっと魅せてくれ。

広島 ○
仕事。宮島の厳島神社には30回ぐらい行きました。
放し飼いのシカはどうやらお腹がいつもすいているらしく、
お客チャマには宮島では食べ物等をちらつかさないよう
注意を促しております。

島根 ○
プライベート。津和野は山口かと思っていました。
印象深いのは城下町としての津和野より太りすぎの鯉達の存在。
う、うまそう...

山口 ○

<四国地方>
香川 ○
仕事。金毘羅のあの階段は恐ろしく歩幅がハンパで、妙な筋肉が痛くなる。
四国ではこちらのけんの読者様が最も多いです。

徳島 ○
仕事。鳴門の渦潮にまったく感動できませんでした。

愛媛 ○
仕事。道後温泉の思い出よりは、四国八十八ヶ所の添乗業務の思い出しか
ない。

高知 ○
仕事。昔住んでいました。四国一田舎と言われるこの地ではありますが、
坂本龍馬と広末涼子の故郷です。一緒にするなと苦情が出そう....

<九州地方>
福岡 ○
中学時代、青春18キップで早朝から乗り継いできて、到着したのは夜11時でした。
そういや、福岡空港。妙にデカい。


長崎 ○
仕事。ハウステンボスにはちょこちょこと。おみやげ屋による仕事がらみの
カステラのみやげは荷物になるからやめてくれ。
そういえばこちらの出身の読者様の1人はかくれんぼがお好きらしい。

佐賀 ×

大分 ○
お~、遠距離恋愛の記憶がぁぁぁぁ.........
薄れつつある。

熊本 ○
プライベート。
阿蘇山恐怖症。あの火口を見ると足がいつも震える.....

鹿児島 ○
もう忘れました....


<南西地方>
沖縄 ○
仕事。40回ほど。実はプライベートでは来たことがまだない、というか
もうたくさん行ったから行く気がしない。
1月に咲く沖縄の桜はお客チャマには不評。
地元の桜で十分という。

その他、小さな離島をえ~んやこ~ら。


どうやら次にバトンを渡す人を指名するらしい。しかしながら
takam16はアンカーです!!


<謝辞>

12月に入り休みがなく、会社での泊り込みもしばしばで、
また年末年始も働く予定ですので、更新が急激に滞っております。
皆様のところへの訪問もままならず、どうもすみません。
 
 

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です。バーチャルですが......

 
 時代小説というものは近年なかなか支持されないなしい。
というのも、現代小説であればその時勢と照らし合わせながらいくらでも
書き方がありそうなものだが、
昔の話となると書くべき内容が限定されてしまう。
古い時代を舞台に奇想天外な物語とくっつけるいうパターンはしばしば見受けられるが、
話が時代小説ということになると、やはり真っ向勝負の物語を描くことが本筋に通って
いる傾向が強いようだ。。

例えば歴史的人物を主人公にした物語はまさに真っ向勝負であろう。
いや、この場合は時代小説というよりは歴史小説というのが正解か。
司馬遼太郎氏あたりが真っ先に思い浮かぶ。
また、岡っ引きや盗人、あるいは街の役人を主人公にしたシリーズものも人気がある。
すぐに池波正太郎氏を思い出したが、最近では宮部みゆき氏の描く時代モノが記憶に新しい。

しかし、彼らは皆ベテランだ。時代小説を書ききるためには、物語よりも以前に
膨大な時間をかけて時代考証を行わねばならず、それは2、3年で習得できるシロモノでは
ないという。
仮に時代考証の間違った小説ができあがってしまうとやはりわかるものには
わかるようだ。さらにもしも間違った時代解釈のもとにその本が売れた結果、
その作家が売れっ子になったとしよう。文学とはいえ、カネの絡む世界だ。徹底的なあら探しが
いっせいに開始される。特に同じジャンルを描く作家の嫉妬というものはこれまたすさまじい
ものがある。時々文芸誌においてある有名作家のコラムを読むとちらほらとその嫉妬心が
伺える。

時代小説・歴史小説作家に新鋭が生まれにくい環境が起きるのは、確かにこのジャンルの小説
の読者層の高齢化が原因であり、知識の深さは歳の数に比例するという考えは古めかしい一方で
読書の世界にはその古めかしい考えは十分通用する。
しかしそれ以上に同じ時代小説・歴史小説作家の評価の厳しさが敷居を高いものにしていること
も事実であろう。
また先述の司馬遼太郎氏や池波正太郎氏、平岩弓枝氏、津本陽氏などの存在は、それがあまり
にも重鎮でありすぎるがゆえに、いっそう閉鎖的な感が否めないのだ。


以上のような理由から時代小説の新人作家を探そうとしてもけっこうなベテランの
お歳であることがしばしばある。

今回手にした城野隆(じょうの・たかし)氏。まあ誰も知らないだろう。
彼も時代小説としてのキャリアは50歳を過ぎてからだ。

城野 隆
一枚摺屋
歴史小説や時代小説において最も読者の関心が強い時代は政治的混乱期である場合が多い。 その最先端が「戦国時代」であろう。織田信長、豊臣秀吉そして徳川家康がからんだ 物語はこれからもトップの座を譲らないであろう。 その「戦国時代」と僅差で人気を誇るのが「幕末」である。 坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作といった歴史人物が活躍した時代であり、もちろん 政治的混乱期である。 このような混乱期を一庶民の視点で描いた作品が本書、「一枚摺屋(いちまいずりや)」 である。 一枚摺とは簡単に言えば、今でいう"新聞"というイメージを持って下さればよい。 ただし、日本でお馴染みの朝、目覚めたらポストに投函されていたというようなものではない。 また、当時は政治面、経済面、スポーツ面、テレビ番組などの区分けがあるはずもなく、 今でいう"号外"のような感じであった。ただし、おカネはきっちりとった。 本書は幕末の政治的混乱期を一枚摺を通じて庶民に伝える有様を描いた作品だ。 新聞の役割のひとつはなんだ? それは権力に抗い、間違ったことはダメだと苦言を呈し、庶民にその事実を伝えることだ。 幕末の混乱期、もちろん日本をダメにしている元凶は250年間も続く徳川幕府であった。 当時はそういう幕府批判を庶民に知らせようとすれば、町の奉行所がすっとんできたものだ。 その記事はやめろ、さもないと.... といった具合にだ。しかも当時は外国が日本に開国をせまり、それに抗うグループが存在した。 外国の言いなりになどなるものかと、開国を認めてしまった幕府を批判した。 また、この頃はは地震・天候不良などの天災により庶民は大打撃を被った。生活面に関しては おコメの収穫量に問題があり、幕府が残り少ないコメを買い占めて 庶民が生活苦になる事態が起きた。 そこからさまざまな不満が積み重なって、徳川幕府による独占的な体制はいかがなものか、 もうそんなことはやめて政治権力を天皇・朝廷に返したらどうか という風潮が有識者の間で巻き起こる。これを 尊皇攘夷運動という。 ちなみに昨年の大河ドラマでは香取慎吾主演の「新撰組」が放送されたが、新撰組はそういう 尊皇攘夷運動を良しとしない、京都(当時は京)の取締、はっきり言えば幕府に反対する者を排除し、 殺す集団であった。徳川幕府の右翼という言い方がわかりやすいか。 しかし、インターネットのような便利な情報収集手段を当時はもちろん知らない。そうなると、 それを知らせることでカネ儲けをしようと考える者がいて当然だ。それが一枚摺屋だった。 主人公は一枚摺を作る仕事だ。しかし、その仕事をするきっかけとなったのは父親の死が 原因なのだ。 実は主人公、草子屋を営む父親とケンカをして勘当されてしまった。話は勘当されて4年が 経ったある日、その草子屋の奉公人とバッタリ出くわしたことから始まる。久しぶりの再開に 酒を飲みかわしながら勘当された家のことをいろいろ聞くと、父がめっきり老け込んだらしい。 父親は草子屋の傍らで一枚摺の仕事をしていた。父は草子屋は妻や奉公人に任せ、好きな一枚摺 を作っていたのだが、老け込みのせいで一枚摺が満足に書けなくなった。 そこで主人公が 「オレが記事を書こう」 ということで一枚摺を出したところ、町の奉行所から待ったがかかり、父親は連行されてしまい、 あろうことか、死んでしまったのだ。自分が書いた記事で父親が死んだことに耐えられず、 その死の真相と究明すること、そして父の意思を受け継ぐことを決意する。 潜りの一枚摺屋、「茜屋」の誕生だ。 当時の世の動きを世間に知らしめるということは、当然権力の批判だ。 一枚摺は道端で行き交う人々に大声でセールストークをぶちまけて売りさばくのだが、 そんな批判を奉行所が許すはずもない。よって売る場所や時間を考えねば捕まってしまう。 その駆け引きがなかなか面白く、本書の読ませどころの1つである。 同時に進行する父親の死の真相とセットで楽しめる。 幕末の政治的混乱とその状況を一枚摺を通じることで信じる庶民達。 現代にも似たような部分はあるのだが、 確か坂本龍馬が... 高杉晋作が死んだらしい.... 徳川慶喜が政権を返した.... という我々には聞き知る名前も当時の庶民はその程度のものなのだ。 その距離感になんだかわかるわかると頷いてしまうのだが、 所詮、庶民はそういう「あっち」で勝手にやっている政事に振り回される立場でしか ないのだ。徳川幕府は確かにダメだ。けれど新たな世の中となったとすれば自分達の 生活はどうかわるのか、その期待や不安が交錯し、押さえのきかない感情を吐き出す手段。 それが 「ええじゃないか踊り」である。 これも誰かが独自にあみ出したというわけではない。その真相は世の不安に耐えられない ある庶民が神社にお参りしたところ、神符降臨があったことが発端らしいが、はっきりしない。 とにもかくにも、不安解消法として、皆で踊り狂うというわけだ。それが ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか ♪ である。 このええじゃないか踊りが時代小説にしばしば見られがちな塞ぎがちになってしまう 読み手の心を開かせる。本書でももちろんええじゃないか踊りは描かれる。 これが西郷隆盛や坂本龍馬を主題にした物語なら、遠い位置づけにならざるをえない だろう。しかしここは庶民を描く小説。忘れてはならない。 新人作家の庶民の視点で描いた一枚摺が発端で聞き知った幕末物語。 読める者が読めば時代小説のことだ。あーだこーだと難癖が付くだろう。でも、 ええじゃないか!! 本書の感想であるが、重厚、濃密といった読み手を疲れさせ、そして暗くさせるような 物語では決してない。だからといって笑い止め薬を常に要する物語でもない。 ボリューム満点、カロリーたっぷり、さあ召し上がれというわけではないが、3時のおやつ にサクサクっといただく印象もない。 しいて言うなら、昼前までぐっすり寝てしまったために朝昼兼用となったご飯を食べた という感覚か.... え、意味がよくわからんですって? そんなこと別にええじゃないか!! 時代物や歴史物にはなぜか"死"がモレなく付いてまわる。物語を良くするも悪くするも "死"次第の感は否めない。"死"が物語の起点、終着点として利用されすぎやしないかと 最近特に思うのだが、 そんな話もええじゃないか!! ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか ♪ ヅラがバレてもええじゃないか。 Yahooニュースで知ったのだが、あるボクシングの試合中にボクサーの 一方の頭のヅラがとれてしまったようだ。ちなみにそのボクサーはTKO勝ち をおさめたという。記事の一文が滑稽だった。紹介する。 「カツラを外し、邪念も消えた小口(←本人の名前)は怒とうの猛ラッシュし、   力強い連打で柴田を追い込み、見事7回TKO勝ちを飾った。」 ええじゃないか! ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか ♪ スッピン見せてもええじゃないか。 週に2度生ゴミを出すのだが、早朝にゴミ出しをすると必ず、 他のマンション住民の女性に出くわす。みな素顔を見られぬようごみ出しには細心の 注意を払っていることが伺える。しゃれにならないぐらいの早足でまるでなにか 悪さをしたかの様子でゴミ置き場へやってくる。両手がゴミ袋で隠せるはずも ないものを..... 見せてもええじゃないか! ダメか? ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか ♪ 早く来んでもええじゃないか。 朝8時30分。ピンポ~ン♪。宅急便です!! 早すぎるねん。休みの日ぐらい遅く来い。 そんなに早うなくてもええじゃないか!! ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか ♪ 正月休んでええじゃないか。 「takam16君。1月1日は仕事ね。」 えー!! 上司は 「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか ♪」 と踊りながら迫ってくるので 「ダメじゃないか、ダメじゃないか、ダメじゃないか ♪」 とこちらも踊りながら逃げ隠れしたのだが、万事休す。 すっかりご機嫌ななめのtakam16。 もーえーわ!!
城野 隆
一枚摺屋
 

takam16の本の棚
です。バーチャルですが......

直木賞話の前に、takam16はフットボール関連の話は正直強い。
よって先日のワールドカップ組み合わせ抽選について
少し述べ、それから本題に入る。

12月10日早朝、ワールドカップ組み合わせ抽選が行われた。
日本代表はシード国がブラジルであるF組に入った。


ブラジル、クロアチア、オーストラリア、日本


イングランド代表監督のズベン・ゴラン・エリクソンは抽選日前日のBBCラジオの
インタビューにおいて、最も避けたい相手として、オランダ、そしてオーストラリア
を挙げた。結果、エリクソン氏の避けるべき2カ国は一方はグループ中最も厳しいと
言われているアルゼンチンがシード国のC組、そしてブラジルがシード国であり、同時に
日本代表のいるF組に入った。

オーストラリアを率いるフース・ヒディング代表監督は現在世界最高峰の指導者の1人である。
そしてオーストラリア代表のメンバーのほとんどはイングランドのプレミアリーグに所属
する選手、よって強化試合はヨーロッパを中心に行っているし、今後もその方針だ。
つまりはヨーロッパのチームと同等に扱う必要がある。

クロアチアは98年のワールドカップで3位という好成績をあげたものの、90年代初期の
戦争のため、その時に子供だった選手に満足な若手育成ができなかった影響から、
しばらく低迷期が続いたが、ようやくその苦境を脱し、8年前のスター選手に頼るスタイル
から、チームとして戦うスタイルに変容した。その意味では前回のイメージを一度リセット
した方がよい。
また、オーストラリアにはクロアチア移民が多く、オーストラリアの選手の中にも
クロアチア移民選手が多くいる。両国はその意味では良好な関係である。
チーム成績の特徴として言えることは、強い者に対等に戦える力がある反面、
弱い者にも対等に戦ってしまうところがある。


そのため、初戦にブラジルがクロアチアに勝つという前提、そして日本が
オーストラリアに勝つという前提の上での報道にはもっと懐疑的であってよい。
さもなくば、日本は98年の二の舞だ。


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直木賞の選考過程

①関係者350人によるアンケート調査
↓
②文藝春秋社の社員数十名が下読み&議論し、評価し、候補作決定
↓
③海千山千の選考委員による2時間の議論・話し合いで受賞作決定



「連続入選」。
高校野球やワールドカップ等でいうなら「3年連続」「2大会連続」
ということであり、トーナメントやリーグ戦といった厳しい戦いを続けて勝ち抜いてきた
のだ。実力があることに相違はない。

ここでいう「連続入選」とは、直木賞の連続入選である。
直木賞は年2回行われる文学賞である。

前期直木賞は1月発表、対象期間は前年6月~11月発行の出版物。
後期直木賞は7月発表、対象期間は前年12月~本年5月発行の出版物。

以前は文芸誌等から選出されることも多々あり、その場合は対象期間が少し変わるのだが、
近年は出版物からの選出ばかりである。
連続入選を果たすということは、年間に最低2作品を期間に照らし合わせて発表し、
かつ主催者の文藝春秋社(正式には財団法人日本文学振興会)の選考会でお気に目さなければ
ならない。
年間非常に多くの文学作品が発表されるわけで、その中で連続して候補作に選ばれることは
やはり無視できないことである。

しかしながら、いくら連続入選したからといって、直木賞を受賞しないことには、
そのうち候補作にノミネートされたことすら忘れられる。
人の記憶力などしれたものだ。
よって今回は連続入選することが、直木賞受賞に結びつくのかを研究する。



過去の連続入選者とその作家が直木賞を受賞したかどうかを以下に列挙した。

伊坂幸太郎 → ×
石田衣良  → ○
奥田英朗  → △
松井今朝子 → ×
乙川優三郎 → ○
田口ランディ→ × 
重松清   → ○
真保裕一  → ×
篠田節子  → △
黒川博行  → ×
宮部みゆき → △ (連続が2度ある)
池宮彰一郎 → ×
坂東眞砂子 → △
中村彰彦  → ○
内海隆一郎 → ×
高橋義夫  → ○
宮城谷昌光 → ○
清水義範  → ×
古川薫   → △
笹倉明   → ○
堀和久   → ×
藤堂志津子 → ○ 
西木正明  → ○
三浦浩   → ×
逢坂剛   → ○
山崎光夫  → ×

(94回~133回までの20年間に限定) 
注)宮部みゆきは2度の「連続入選」を経験しているがここでは1と数える
注)篠田節子、堀和久、山崎光夫は実際は3連続であるが、ここでは最初の連続
 だけを示している。3連続についてはあとで示す



連続入選の該当数26個。
○はその連続入選により受賞したことを意味し、
△は連続入選したがその時は受賞できず、のちに受賞したということ、
×は連続入選したがその時は受賞できず、のちの受賞もないということ
である。

○は10個あり、その確率は 40%
△は 5個あり、その確率は 19%
×は11個あり、その確率は 44%

最終的に直木賞を受賞と定義しても、確率は 57、7%
あまり際立った数字は見当たらない。

そこで連続入選に該当する作品の出版社からデータを出してみた。
ここでは連続入選の結果受賞する場合と、連続入選では受賞を外すものちに選ばれた
場合をあわせる。つまりは最終的に直木賞を受賞する確率である。

連続入選のパターンが

文藝春秋 → 文藝春秋 の場合、受賞率は  100% (該当3個中)
他出版社 → 文藝春秋 の場合、受賞率は 77、8% (該当9個中)
文藝春秋 → 他出版社 の場合、受賞率は 71、4% (該当7個中)
他出版社 → 他出版社 の場合、受賞率は 30、8% (該当13個中)
他出版社が同じ出版社の場合、  受賞率は   25% (該当4個中)

相変わらず、文藝春秋には明らかに有利に働く結果が出ている。
文藝春秋社での入選が連続入選のいずれかに入れば、7割以上の確率で
直木賞作家になることができる。

次に、この連続入選という機会が、入選の何回目に訪れているかを調べた。
例えば、石田衣良氏の場合は

初入選     126回  集英社  「娼年」
2回ぶり2度目 128回  文藝春秋 「骨音」
2回連続3度目 129回  新潮社  「4TEEN」 直木賞受賞

という具合にである。

初入選を①、2度目の入選を② というように以下に列挙する。

伊坂幸太郎 →× ②③  
石田衣良  →○ ②③ 
奥田英朗  →△ ②③
松井今朝子 →× ①②
乙川優三郎 →○ ③④
田口ランディ→× ①② 
重松清   →○ ②③
真保裕一  →× ①②
篠田節子  →△ ②③
黒川博行  →× ①②
宮部みゆき →△ ①② と ④⑤  
池宮彰一郎 →× ①②
坂東眞砂子 →△ ①②
中村彰彦  →○ ②③
内海隆一郎 →× ①②
高橋義夫  →○ ④⑤
宮城谷昌光 →○ ①②
清水義範  →× ①②
古川薫   →△ ⑧⑨
笹倉明   →○ ①②
堀和久   →× ①②
藤堂志津子 →○ ①②  
西木正明  →○ ③④
三浦浩   →× ③④
逢坂剛   →○ ①②
山崎光夫  →× ①②


①② では 40%
②③ では 83%
③④ では 50%

の確率で受賞できることがわかる。
①②の数字がイマイチなのは、時期尚早ということか。
②③、または③④と回を重ねたほうが受賞はしやすいというわけか。



ちなみに3連続、4連続で入選を果たした作家とその結果も紹介しておく。

篠田節子   ②文藝春秋   → ③双葉社  → ④集英社で受賞
堀和久    ①講談社    → ②文藝春秋 → ③講談社も落選
山崎光夫   ①講談社    → ②講談社  → ③文藝春秋も落選
林真理子   ①角川書店   → ②角川書店 → ③新潮社    → ④文藝春秋で受賞
高橋治    ①文藝春秋   → ②新潮社  → ③講談社で受賞
村松友視   ①角川書店   → ②角川書店 → ③角川書店で受賞
胡桃沢耕史  ②サンケイ新聞 → ③徳間書店 → ④文藝春秋で受賞
連城三紀彦  ②講談社    → ③新潮社  → ④新潮社 → ⑤新潮社で受賞
中山千夏   ①文藝春秋   → ②文藝春秋 → ③文藝春秋も落選

上の3人は「連続入選」でも登場しており、そのデータはこの「3連続入選」
のデータの一部であることを補足しておく。また2人以外については
過去20年間より前の話であり、3連続や4連続は今となってはほぼ出ない
ため、このデータは現在ではあまり参考にはならない。

では、以上の「連続入選」をふまえて、その可能性のある作家を列挙する。

まずは前回ノミネートされた作家の中からは

絲山秋子   角川書店  「ニート」        2回連続2度目
恩田陸    集英社   「蒲公英草紙―常野物語」 2回連続2度目
       朝日新聞社 「ネクロポリス」     
三崎亜記   集英社   「バスジャック」     2回連続2度目
古川日出男  集英社   「ロックンロール七部作」 2回連続2度目

また、過去の連続入選経験者からは

伊坂幸太郎  文藝春秋  「死神の精度」      2回ぶり4度目
       講談社   「魔王」     
黒川博行   幻冬舎   「暗礁」         8回ぶり5度目


この中で、受賞に近そうな作家を考えてみる。
まずは古川日出男氏である。
彼の初入選作は「ベルガ、吠えないのか?」。文藝春秋社である。
連続入選に文藝春秋が入れば、受賞率は7割を超える。

しかしながら、少し思い出してもらいたい。文芸春秋社で初入選をした場合は、
他の出版社で受賞する可能性は非常に少なく、しかも集英社ではゼロなのだ。
よって、古川氏は入選の可能性は十分あるものの、受賞となると少し手が出せない。
古川 日出男
ロックンロール七部作
次に、三崎亜記氏「バスジャック」は集英社。前回も集英社より「となり町戦争」であった。 実は初入選が集英社である場合、のちの直木賞受賞率は41.6%である。 そのため、「バスジャック」が出版第2作目という彼女の経験値の低さがネック である。ただし、その壁を乗り越えて候補作に選ばれるのであればマークは必要だ。
三崎 亜記
バスジャック
恩田陸氏は現在、上昇気流に乗りそうな作家の1人だ。 もし候補に選ばれた場合の対象作は「ネクロポリス」(朝日新聞社)と 「蒲公英草紙―常野物語」(集英社)なのだが、朝日新聞社での入選は今回は期待薄だと 思っている。直木賞候補作には出版社の壁も乗り越える必要があり、当社での選出の 壁は高いといわざるを得ない。よって「蒲公英草紙―常野物語」(集英社)に可能性 があるのだが、これだと集英社より古川氏、三崎氏、恩田氏と3人も選ばれることになり、 このような例は過去にない。よって、受賞以前に候補作になれるかどうかがまずは問題である。 絲山秋子氏。 「逃亡くそたわけ」(中央公論新社)の前回、そして「ニート」(角川書店)の今回。 連続入選のチャンスはもちろんある。彼女は実績を持っている。川端康成文学賞や、 芸術選奨文部科学大臣新人賞、文学界新人賞といった底力を持った賞を獲っている。 また、中央公論新社からの初選出では京極夏彦氏がいる。そして彼は角川書店より 直木賞作家となった。ただし連続入選ではなかったし、 連続入選に文藝春秋社が含まれていないのはマイナス材料である。 それは三崎亜紀氏も同じであるが、現状ではグレーゾーンだろう。候補作となった 時に他との比較となろう。
絲山 秋子
ニート
連続入選経験者は2人。 まずは黒川博行氏。 しかし残念ながら、文藝春秋社より2度候補作に選ばれながら落ちるという屈辱を 味わっており、この場合はのちの受賞は非常に困難だ。消しであろう。 そして、伊坂幸太郎氏。 彼が直木賞候補の視点から見ると今回のNO1である。 2度目、3度目の連続入選経験者は、83%の確率で直木賞作家になる。 あとは今回受賞するか、次回以降に受賞するかの問題だ。 ただこの連続入選には残念ながら文藝春秋社はからんでいない。また、 彼の初入選は新潮社だった。この新潮社からの初入選者に文藝春秋社は他社以上に厳しい。 20年間で3人いるが、うち2人は初入選でいきなりの受賞。あと1人も角川書店 での受賞だ。 この厳しさの原因に直木賞のライバルかと思われる新潮社主催の山本周五郎賞の 存在があることを前回述べている。 次回、この山本周五郎賞をからめた直木賞にまつわる話をさせていただくことにしよう。 結局は、以上に挙げた6人のダメダメデータばかり出してしまった。 深く追求しすぎると、へそ曲がりな物言いになってしまうことを少し実感した。 また、中間報告でお知らせした直木賞候補作品に若干の変更がある。 それも次回語りたい。
 

takam16の本の棚
です。バーチャルですが......

 受ける予定の資格試験が一週間をきり、受験時代の図書館通いを思い出させる
ような懐かしい気分を期待して本日(先週の日曜日)はいざ図書館へ!!

図書館というところは、学生時代はほとんどを自習のために使っていた。
日曜日に行こうものなら、それは

行列のできる図書館

にとってかわる。だからこそ、朝一でカバンを場所取りのために置くと一度家に帰り、
開館時間近くになるとまるで正義の味方のようにうしろの列に並ぶ連中の
横を殿様気取りで通過して、一番先頭に陣取る。
ちなみに我が図書館では自習はOKである。

実際に開館すれば、もちろん先頭だ。物凄いダッシュで図書館のVIP席とも言われる
1人席(他人と向かい合ったりすることなく、、隣同士であっても敷居のおかげ
で隔離された気分が味わえる座席。もちろん机付き。)
へ一目散。の出方(敵とは席を狙う他の連中)を伺いながら、そして時には敵の動きを
けん制しながらの行動も必要だった。
まるで兵庫県の西宮神社の正月風景のようだったと、懐かしい限りなのだが、
受験、そして合格の目的を達成してしまえば、たいへん薄情なのだが図書館ともおさらば。
何故か、邪悪な気配でも感じるかのように寄りつくことはなくなった。

それでも働くようになると、本の1冊でも借りようかと思い、図書館に通い出すと、本は
借りると返さねばならないため、強制的にリピーターにさせられる。
そこで、返すことの面倒くささが気持ちを支配してしまえば、図書館には決して将来も用は
なかっただろう。
現実に面倒くささに支配された例を挙げると、それはビデオレンタルであった。
しかし、図書館による「強制的なリピーター獲得作戦」にはまんまと引っかかった。
目的もなく借りる本が意外に面白かったのだ。

すると、目からウロコ、棚からぼた餅というわけではないのだが、また借りて面白いのに
当たったらいいのになぁ.....
とまた目的もなく借りる。するとそれがまたまた面白い。
こうなりゃ無償のギャンブルだと勢いがついてしまい、借りて返してまた借りるの繰り返し。
すると欲というものが出るもので、今度は他の図書館でも借りたいなどと色気づく。

それは都道府県図書館であったり、勤務先の所在地の図書館であったり、近所の大学図書館
であったりと、その数は増加。勤務地は変更もあるからその都度利用登録を行い、
大学図書館は現在学外者開放に積極的だ。こちらも次々カードを作った。
借りれる限度を数えてみると、その数128冊だ。
まあ勤務地変更や住所変更などで実質使用できない、使用しない分も含めての数字だが
それにしても100冊以上もの枠は我ながら驚きである。

しかし、学生時代のような場所取りの気概や意気込みは今となっては昔の話、
さっぱり沸いてこない。それに1人席でなく、相席であってもちゃっかりと100円ショップ
で耳栓の準備もできているし、集中力を損なうことはないだろうと思い、しかしながら
日曜日にお昼から行くのはいくらなんでも座席確保は無理だろうということから、開館時間直前に
ちょうど到着するような状況にした。原チャリを使用したため時間計算は容易というわけだ。

いいかげん、寒くなってきたのに手袋もマフラーもせずの半キャップでの運転は冗談では
なかったと反省したのだが、開館時間ちょうどの到着は正解だった。というのも、子供が
少ない時代なのだ。自習目的に図書館を訪れる人はかなり減っているようだった。
列をつくって並ぶという活気は見られず、パラパラと入り口付近で寒さで縮こまりながら
開館時間を待つのはみんな老人。こういうところに高齢化社会の現実が見られる。


無理なダッシュを強いられることもなく、
1つのテーブルに4人が陣取る座席に着席。そのような座席は他にもいくつかあり、
誰も席についていないテーブルから1人ずつ埋まっていく。
このあたりは人間の心理だ。自分だって誰もいない4人使用のテーブルの座席に腰を落とす。

11時頃になるとさすがに混雑し始める。1人で陣取っていた席に新たな利用者が席に着く
と一気に各テーブルが埋まり始め、正午までには当然日曜日の図書館は俄然熱気を
帯びる。


さあ、4人使用席の確保、集中して自習ができるか否かは、残り3人の構成に懸かっている。



開館と同時に席を陣取ったtakam16がもちろん一番最初に座につく。当たり前だ。
1時間後、自身の座る座席の2番目の利用者のおでましだ。
それは黒髪の美女だ。
takam16、机の下で拍手をした。この場合、美男美女にかかわらず、2番目の人の座る
場所は1番目の人の対角線が通例であり、その美女もご多分に漏れなかった。そんなことより
このようなことをうだうだ言っているところでさっぱり資格試験勉強に集中できていない。


4人使用席の場合、最大のキーマンは3番目の人物と決まっている。
伸び伸びと集中力を保つにはこの3番目の理想は勉強の意欲をそそる人物、つまり学生でも
社会人でも女でも男でもいいから、自分と同じく自習目的の利用者を望むのだ。
また、3番目の人物は確実に自分の正面か、あるいは横に着席するのだ。
極めて重要だ。ところがである。


時刻は午前11時半。
ぷ~んと漂うこの異臭。それに敏感に反応したtakam16。その発信源はウシロだ。
後ろからその異臭を放つ者が徐々に近づいてくるではないか。

頼む、通り過ぎてくれ!! 天に祈りを捧げる。が、

「どっこらしょ。」

あー、オレの横に座りやがった。この異臭野郎。他に空いている座席はたくさんあるだろ。
なぜだ!

いや、それより美女の安否が気にかかる。美女は異臭野郎の正面に位置することに
なるからだ。さぞや顔を歪めていることだろうと気遣いの視線を美女に移したところ、

のほほ~ん
としているから、物事に怖気づかない凄腕の持ち主かと関心していたところ、よくよく耳を
済ましてみれば(takam16、現在耳栓使用中)、どうやら美女は

鼻づまりのご様子だ。クシュクシュ鼻が鳴る音がする。
つまり、風邪だか鼻炎だかしらないが、異臭を嗅ぎ分けることができない
ということだ。なんと幸運な美女...それにひきかえ健康ゆえのオレの不運。

異臭野郎は着席するや、手を頭の上に持ってきて伸びをしたり、ストレッチをしたりと動きが
激しい。そしてその動きにあわせるように異臭も元気いっぱい発射される。
これがズバリ、地獄というものか.....。我慢もいい加減限界だ。
耳栓をどれだけ急遽、「鼻栓」に変更したかったことか。
しかしここは堪えた。鼻に栓など入れたら逆に「鼻栓野朗」と思われる。

ここで最後である4番目ということにあいなる。こうなりゃ3番目の異臭野郎の
存在を忘れさせてくれる香りを願いたいものだ。例えばペパーミントの香りなら異臭と相殺される
だろう。特に強烈な奴を願いたい。


さあやって来た。身なりのいい初老の男性だ。その最大のチャームポイントは白髪だ。
司馬遼太郎氏以上のみごとな純白。その初老の男性がオレの正面、つまり黒髪の美女
の横の席に着いた。ツヤのある白髪のみごとなビジュアル。
これぞ純白の貴公子だ。

黒髪と白髪のセット。オセロを感じさせるこの並び....
と勉強への集中力などすっかり失せてわけのわからない思考にハマりかけたのだが
ちょっと待て。
今度もなんだ、このニオイは、おい!!

4番目は身なりは異臭野郎よりは確かにマシだ。だがそれを打ち消すこの
ニンニクのニオイはいったいどういうことだ!!
本来は異臭野朗の存在を打ち消すのが4番目の役割だ。なのに、ニンニク.....
お、おい、アクビをするな、オレは真正面だぞ。
ほぼ気絶である。このニンニクジジィめ、牛乳で口をゆすいでこい!!


ぷ~ん。横と前から悪臭が放たれる。異臭のコラボは最悪だ。
なのに鼻づまりゆえに
のほほ~ん
を決め込む黒髪の美女。
挟み撃ちの惨劇に知らんぷりをされたオレの精神状態はもうボロボロだ。


4人席のメンバーは

takam16 
異臭野朗。
黒髪の美女改め、鼻づまり女。    
純白の貴公子改め、ニンニクジジィ。



カンカンカンカン~!!!♪


ギブアップである。
もう他の座席に移動したくてもどこにも空いている席は見当たらない。

みじめな敗北に背中を意識的に寂しくさせながら、
来館した午前10時よりたったの2時間で自習を打ち切り、
図書館をあとにするtakam16。
図書を返すことも借りることもいっさい放棄し、寒空の中を
原チャリでこちらも寂しげな運転姿勢で自宅へ帰り、引きこもるtakam16
でありました。
 
 
 

takam16の本の棚
です。バーチャルですが......


 最近よく夢を見る。おかげで目覚めがすこぶる悪い。
いい夢ならいい夢で願いが叶う寸前に目が覚めるので
それはそれで不愉快なのだが、
悪い夢の方が多いから午前中はずっと機嫌がよろしくない。

例えば
この前見た夢はナイフを持った女に追いかけられた。
オレが何をしたというんだ?
その前は万引き犯と間違えられて取り押さえられた夢だった。
オレは万引きをする勇気がないのだ。するわけないだろ。
とまあ、こんな感じの夢というわけだ。
しかもおせっかいなことに正夢なんてことも考慮に入れねば
ならないのかなぁと、用心に用心を重ねているのだが、

最近見たこれまたどうしようもない一番新しい夢は「魚」だった。
「魚」といっても、魚を焼いた、食ったというありふれた日常生活などではない。
takam16がなんと「魚」になって泳いでいるのである。

背びれやら尾びれやらは漏れなく付いているから泳ぎはもちろん達者であるし、
なによりも初めての「エラ呼吸」を体験した。最初はちょっと戸惑ったのだが、
習得は人間以上だ。

「これがエラ呼吸なのだな。」

とニヤニヤしている自分がアホらしい。
しかし、2つほど大変やっかいなことがあった。まずひとつはウロコ臭いことだ。
魚の放つ独特のあの異臭だ。
そしてもうひとつは目が横に付いていることだ。
確かに斜め後ろも見えるし真横が見えるのは新鮮だった。が、正面となると勝手が
違う。目の玉を両方寄り目にしようと試みたのだが、ダメだった。
シマウマの気持ちがわかった瞬間だった。
しかし、水中で目を開けていても痛くないのは好都合だ。

また、水の中はなにかと危険が付き物だ。
とはいえ、サメやマグロやカジキがいるわけではない。
かといって、タラやワカメやカツオがいるわけでもない。

「おい!中島ぁ!!」

などと声をかけてもくれない。
というか、この場は海ではないのだ。そして川でもない。

汚染により濁りの激しい沼だ。水草が泳ぎの邪魔をするのはいいが、
空き缶やらタバコの吸殻やらがプカプカ浮いて、せっかく魚になった
というのに、とんだ扱いだ!! 人間のクズ野郎が! ゴミを捨てるな!!



と「魚takam16」が汚らしい沼の水深2mのあたりでぼやいていたところ、
水面近くでプカプカ角ばったものが浮いてやがる。それは白い色をしていた。
どうやら食べ物の類か? といいかげん腹がぐぅぐぅ鳴ってしゃれにならないので
ぜひいただきたいと思い、水面に上昇するのだが、そういえば、魚には手がない。
だからどうやって食にありつくかということをあれこれ思案したのだが、
その最中でもその白い奴はこちらにフェロモンを出し続けるのだ。
また、他の魚達に先を越されて奪われた時にゃ~、数時間後の飢え死には確約された
ものだ。

ここはなんとしてもGETしなければと、一目散にその白い奴に近づいた。
より近くでみてようやくわかったのは、
「絆」とか「一体」とか「命」とか、そんなニオいを感じたということだった。
そうだ。この沼地、いつまでも泳いでるわけにはいかないのだ。

ヤモリやらカエルやらザリガニやら危険だらけだ。
自分の命は大切に守りたいし、知り合いの魚が残念ながらこの沼には
いないようなので
新たな友を見つけ、絆も深めたい、孤独も嫌だから一体感もまたいい。
というよりもこれらを全部
あわせて平和な環境に行きたい!!

というわけで、食べ物じゃないことがわかったのだが、とにかくそれらを望んでいた
「魚takam16」は不慣れな横についた目ながらも自分の口がその白い奴の
正面に来るように体を向け、パクリとかぶりついた。ところがである。


その「絆」とか「一体」とか「命」とか、そんなニオいを感じる白い奴は
物凄い力で自分を水面から引っ張り出そうとしたのだ。必死にもがくtakam16。
しかし不慣れなヒレを使った泳ぎとエラ呼吸、それに横の目が抵抗を中途半端にさせる。
しかも口になにか針のようなものが食い込んでいる。

「し、しまった!!」

人間とはこうも残酷な輩。そして魚とはこうも単純な生き物。

「絆」とか「一体」とか「命」とか、そんなニオいを感じる白い奴の物凄い
「引き」のパワーに気絶寸前のtakam16。
口から泡がブクブク.....



「お客様、カバーをおかけしましょうか?」

「え?」

気持ちがあさってに向いていた自分に誰かが声をかけた。

ハッと現実に引き戻された。どうやら考え事をしていたらしい。
自分が魚になったらどうなのかという考え事だ。

声をかけたのは本屋の姉ちゃんだった。彼女はつくりえくぼで微笑んだ。
思わずお返しの笑みで応対するtakam16。残念ながらえくぼは出ない。

やられた。こんなしぐさでイチコロだとは... こちらは人間takam16。


というわけで、
「絆」とか「一体」とか「命」とか、そんなニオいを感じる白い奴......
まあニオいといってもそれはインクのニオい。
「絆」「一体」「命」....、それらは平和につながるもの。そのようなテーマを
常に物語で存分に語りつくす作家、梨木香歩氏が「白い奴」、
つまり白い表紙の新刊を出したのだから、一目散にパクついたというわけだ。

そして著者の訴えかけるパワーに引かれたというわけだ。 とにかくこの梨木香歩氏。図書館での貸し出し予約数は常にいっぱいだ。 古い作品でも回転率はすこぶるいいとは図書館員の話。 ちゃっかり図書館員に聞いているとはなんて準備のいいことだろう。 とにかく平和の願いを作品に込める著者。 ひとつの個から始まる著者の物語は別の個達とぶつかりあいながらも、 最後はわかりあえる、わかりあえるはずだ、 というのが一連の作品に見られる展開だ。これがすこぶる評判がよろしい。 そして、今作品においては、非常に壮大なスケールの物語をぶら下げてきたのだ。 パクリとかぶりつく「魚」の気持ちもわかるだろうか。 主人公の私こと久美。非常に現実的な女性である。その彼女はある日なんだか わからないが、親戚のおばさんから頼まれて先祖代々から存在する家宝を 受け継いだのだが、それが 「ぬか床」 というではないか。そんな家宝いらねー。 当然これがまあ面倒くさい。毎日「ぬか床」を掻き回さねばならないのだ。 変な家宝を背負ってしまったものだ、しかも友人にも言えないくらい恥ずかしいぞと 思っていたところ、その「ぬか床」からなんと卵が発見された。 おいおい、物語があさっての方向へ進みだしたぞ。もう少し読み進めよう。 するとどうだ。その卵がかえってしまったからさあ大変。 しかもかえったその生き物、ちゃんと話をする。 手もある。足もある。けど人間のようで人間でない。なんだコイツは?? 卵が1つならまだ許そう。ところが それが2つ、3つと発見されてまたまた大変。どんどんかえったらどうしよう..... ここで主人公はこのわけのわからない先祖代々の意味不明な「ぬか床」を どうにかせねばと考える。 実はこの「ぬか床」は元所有者から受け継いだ。その所有者が死んでしまったのだ。 もちろん先祖代々なのだから、元所有者は親戚だ。その親戚は独身なために子供がなく、 「ぬか床」を受け継ぐ者がいない。そこでその親戚の元所有者の姉妹であるオバさんが 主人公に受け継ぐようにお願いしたのだ。 また、数年前に主人公の両親が2人とも事故で死んでしまったのだが、 その理由に「ぬか床」がからんでいることをひょんなことから聞きつけたのだ。 さあ、この先祖代々の恥部、そして不運を招くであろう「ぬか床」の謎に 迫りたくなるのも無理はあるまい。 なんだか妙に非現実的なストーリーだが、この謎解きにtakam16も ワクワクドキドキ。 ここで、「ぬか床」にまつわる死の真相を知るべく、また「ぬか床」の相談を 死んだおばさんからされたことがあるというわけで登場するのが 風野さん、男性だ。 偶然にも主人公と同じ会社なのだが持ち場が違い、こちらは微生物の研究所に勤める人物。 またこれが生物談義がやたらと好きな男なのである。 酵母菌がどうとか、微生物はこうとか、遺伝子がああだとか本業ゆえに仕方がないの だろうが、とにかく生物にまつわる話にうるさくしかも細かい。 そんな奴、友人にいたら文系のtakam16は嫌だ! だが、この物語の核心にせまるには必要不可欠な人物とそして 生物談義だ。マークしておけ!! とりあえず、ここからの展開は本書にその回答を譲る。 著者には「平和」とテーマが常に物語に横たわっていることは先に述べた。 これは裏を返せば、平和でない場所が世の中がいたるところで日々起きていることを意味する。 著者が嫌う言葉は 「宗教」「民族」「人種」「男女」などによって必ずもたらされる 「区別」というものである。 「区別」の発生の先には強者と弱者ができたり、支配や差別という行為が行われたりする。 そして精神面ではついつい欲が出てしまう。欲はやっかいなもので心に留めておくことが 非常に困難なものだ。これが表に出てくるといろいろやっかいなことが起こる。 そしてその先に見えるものが、「殺し合い」そして「戦争」である。 梨木氏が本書において、壮大なテーマをぶらさげたそれは人間だけで世の中が成り立って いるのではない。動物も、植物も、そして細菌類もすべてをひとまとめにした 「生物」という壮大なテーマである。 人間も、犬も、猫も、カエルも、カマキリも、ヒマワリも、アサガオも、その起源をたどって いけば、その源はあるひとつのなにかに行き当たる。 しゃれにならないぐらい昔にあるひとつのなにかが生まれ、それは「分裂」と いう行為により増殖していった。それが次々に行われた結果、 例えば動物であったり、植物であったり、 そしてそこからさらにいろいろな種類の生物が枝分かれしていった。 やがて「分裂」という行為が、いつの日かなにかの理由で、 「結合」という革新的な方法により子孫を残すやり方が誕生した。 また、例えば同じ種類の動物同士でも進化の速度の違いや能力の違い、子孫を 残す方法の違いなどさまざまな理由により、さらに枝分かれしていき、 現在最も進化したのが人間といわれている。 しかし元はみんな同じところから出発しているのだ。 人間なんてちっぽけなものだ。進化はしたといえ、生物のほんの片隅だ。 なのに同じ人間同士、争ってどうなるの? 肌の色が違う?思想が違う?生まれた場所が違う?言葉が違う? でも同じ人間でしょ。だったらうまくやっていける方法があるはずだ。 それを考えるだけの能力を最も進化した人間が兼ね備えているのだ。 なのになぜ争い、戦い、殺しあう。 そんなことのために進化したのか、我々は? 梨木氏は以上のような信念を持って執筆活動をずっと続けてきた。 その最先端をいくのが本作品というわけだ。 このスケールのでっかさ、堪能するのはいつでもいいが、いつまでも待っている わけにはいかないのだ。なぜなら彼女のことだ。 さらに最先端をゆく壮大な作品を次々に生み出しうる潜在能力があるのだ。 梨木氏は、生物の進化について 「とめようのない流れ」 と本書において、否定的ではある。進化の結果、人間が得たがゆえに 起きていることのひとつに「争い」があるからだ。しかも同じ人間同士で。 しかし、氏の作品の進化については個人的には極めて肯定的でありたい。 著者の作品の進化を読者が味わうことができるのであれば、それは作家冥利に尽きる であろう。 さて、これをブログに置き換える。強引に置き換えてみる。 ここはアメブロなので、アメブロを例に挙げて考えた。 我々はアメブロに会員登録することで、アメブロという1つの生き物から分裂という 方法で命を授かった。それが個々のブログである。当然最初はブログの数は少なかった。 それはなんらかの方法により増殖していった。実際は宣伝や口コミという説明のつく 理由なのだがとにかく増殖し、今では何十万という数にまで膨れ上がった。 生物と違うのは、元の1つの生き物からスタートしている点である。 その中で話のあうもの同士が集まり、さまざまなつながりが自然にできあがった。 すると、最近アメブロはスクラップブックという新手の方法を生み出した。 他ブログ様にご説明するとスクラップブックというのは、ある特定のテーマを誰かが作り、 それに共感した、同感した人々が私も入ります、と言ってメンバーに加わる、言ってみれば クラブ、組合、PTA、そんなイメージと考えてくれればよい。 これを梨木氏に沿って考えると、「結合」ということになる。 ただし、クラブ、組合、PTAにたとえたスクラップブックというものは、 ひとつの壁をつくることにもなる。その壁の決め手は、そのことについて興味があるかどうか、 共感できるかどうかといった思想の部分だ。 ということは、そのグループにどうしても入れない者が生まれる。 それは自然に生まれるのではなく、積極的に生まれるのだ。 ありがたいことにアメブロの1ブログにおいてスクラップブックがあまり目立たないような 表示であることにはまだ救いがある。 ある生物の進化の過程には「分裂」による増殖から「結合」により新たななにかを生み出す という方向転換があった。 スクラップブックは極端に言えば一種の「結合」に似たものだ。 ブログはどんどん進化する。 アメブロにおいては、「結合」という新たな方法を誕生させた。 他ブログも含めてそうなのだが、 ブログの進化とその行く末がなぜだか梨木氏の本書で語る生物にまつわる 壮大なストーリーにどこか似ていると感じたのは、 ブログという命を持つ一(いち)ブロガーであればこその視点なのだろうか..... 例えばブログでよくあるテーマによる棲み分け。 それが「区別」に思えたのは本書を読んでからだ。 便利であることに異論はないが、それが強制されているような気を感じた。 みんなみんな~生きているんだ友達なんだ~♪ けどミミズやカエルやアメンボはねぇ~ と、躊躇するtakam16。 しかし魚の気持ちはちょいとばかし頭の中で実感できた。 「魚takam16」も捨てたもんじゃ~ありませんぞ。 そうだ。卵の産み方はどうするのかなぁ.....
 

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 直木賞の選考過程を改めて確認しておこう。

①関係者350人によるアンケート調査
↓
②文藝春秋社の社員数十名が下読み&議論し、評価し、候補作決定
↓
③海千山千の選考委員による2時間の議論・話し合いで受賞作決定



takam16の直木賞候補作予想

作品名 作家名 出版社 選出回数
魔王 伊坂幸太郎 講談社 2回ぶり4度目
死神の精度 伊坂幸太郎 文藝春秋 2回ぶり4度目
蒲公英草紙―常野物語 恩田陸 集英社 2回連続2度目
ネクロポリス 恩田陸 朝日新聞社 2回連続2度目
ハルカ・エイティ 姫野カオルコ 文藝春秋 4回ぶり3度目
はなうた日和 山本幸久 集英社 初選出
凸凹デイズ 山本幸久 文藝春秋 初選出
× こんちき あくじゃれ瓢六 諸田玲子 文藝春秋 8回ぶり2度目
おまけのこ 畠中恵 新潮社 初選出
沼地のある森を抜けて 梨木香歩 新潮社 初選出
× でいごの花の下に 池永陽 集英社 初選出
一枚摺屋 城野隆 文藝春秋 初選出
遠くて浅い海 ヒキタクニオ 文藝春秋 初選出
暗礁 黒川博行 幻冬舎 8回ぶり5度目
× 容疑者Xの献身 東野圭吾 文藝春秋 3回ぶり6度目
楽園の眠り 馳星周 徳間書店 4回ぶり5度目
女王様と私 歌野晶午 角川書店 初選出
× ニート 絲山秋子 角川書店 2回連続2度目
さよならバースディ 荻原浩 集英社 初選出
ポセイドンの涙 安東能明 幻冬舎 初選出
印の目安 ◎  ... 候補作濃厚 ▲  ... 可能性あり △  ... 一考の余地あり ×  ... 相対的に可能性低い 無印 ... 気になる程度 注  ... 同一作者のもう一方の作品に選出の可能性があり 「さらに、文藝春秋がいかに他社に冷たいかを表す資料を   次回用意したい。このデータはまさに驚愕である。」 で前回の記事を終えた。ご都合主義もいいところで、連載モノには お決まりの「先延ばし作戦」だ。1とか2とかいうものは決まって 記事のネタを意図的に増やす狙いがちゃっかりと含まれている。 それは書くネタが困った場合かもしれない。あるいは長すぎるから次回 につづくのかもしれない。読む者を繋ぎ止める手口かもしれない。 TV番組などでこのようなパターンに遭遇した時は、おおいに思案してもらいたい。 え?当ブログはどれだって? それは○○○○○である。 (乾いた笑い) さて、肝心要の他社に冷たいかを表す資料だ。 文藝春秋社以外で受賞した作家の初選出の出版社はどこか!?である。 130回 京極夏彦  角川書店    ← 中央公論新社 130回 江國香織  新潮社     ← 集英社 129回 石田衣良  新潮社     ← 集英社 126回 唯川恵   マガジンハウス ← ☆ 124回 重松清   新潮社     ← 講談社 123回 船戸与一  集英社     ← ☆ 123回 金城一紀  講談社     ← ☆ 121回 佐藤賢一  集英社     ← ☆ 121回 桐野夏生  講談社     ← 講談社 120回 宮部みゆき 朝日新聞社   ← 出版芸術社 117回 篠田節子  集英社     ← 毎日新聞社 117回 浅田次郎  集英社     ← 講談社 116回 坂東眞砂子 新潮社     ← マガジンハウス 115回 乃南アサ  新潮社     ← ☆ 114回 小池真理子 早川書房    ← ☆ 114回 藤原伊織  講談社     ← ☆ 110回 佐藤雅美  講談社     ← ☆ 110回 大沢在昌  読売新聞社   ← ☆ 109回 高村薫   早川書房    ← ☆ 108回 出久根達郎 講談社     ← 講談社 105回 宮城谷昌光 海越出版社   ← 海越出版社 105回 芦原すなお 河出書房新社  ← ☆ 103回 泡坂妻夫  新潮社     ← 幻影城 102回 原尞    早川書房    ← ☆ 101回 ねじめ正一 新潮社     ← ☆ 100回 杉本章子  新人物往来社  ← 新人物往来社  99回 景山民夫  角川書店    ← 新潮社  98回 阿部牧郎  講談社     ← 文藝春秋  97回 山田詠美  角川書店    ← ☆  96回 常盤新平  講談社     ← ☆  95回 皆川博子  新潮社     ← 講談社  94回 森田誠吾  新潮社     ← 新潮社 (過去20年分)   右が初選出された作品の出版社、左が受賞時の出版社。 文藝春秋社以外から初選出した作品に該当する作家が 文藝春秋社から直木賞作家になることは過去20年間ではたったの 1度しかないのである。 つまり、初めて直木賞候補作になった作家が文藝春秋社以外で選ばれた 場合は、文藝春秋社は原則、知らんぷりということだ。 これは裏を返せば、予想・推理する側にとっては非常に絞り込みやすい データであり、個人的には大変ありがたい限りである。 このデータを基に例えば、伊坂幸太郎氏の受賞についてデータにあてはめると、 伊坂幸太郎の選出歴 129回 新潮社 「重力ピエロ」 131回 講談社 「チルドレン」 132回 角川書店「グラスホッパー」 134回 ???  「死神の精度」or 「魔王」 「死神の精度」は文藝春秋、一方の「魔王」は講談社。 初選出は新潮社。 もし「死神の精度」で選出されると、文藝春秋ゆえの不利を被る。 「魔王」で選出された方が可能性は高くなるかもしれないが、そうなると 次に考えねばならないのは、新潮社から初選出された作家がいずれ直木賞作家 になる確率がどの程度あるのかに興味がわく。 なぜ、新潮社の初選出に興味深々であるかというのは、伊坂氏の問題という よりは、新潮社という出版社の問題である。 実はこの新潮社、文藝春秋社主催の直木賞への対抗というと語弊がありそうだが、 同じ位置づけの受賞を催している。 「山本周五郎賞」。 この賞と直木賞との関連データは後日示すが、新潮社は少なからず文藝春秋 と文学の点において両雄並び立たずの関係である。業界ネタを言わしてもらえれば、 書店向けの書籍ネット販売においては実のところ両社は共有している。 しかし、週刊文春と週刊新潮、文春文庫と新潮文庫といろいろ比較されやすい 関係だ。この山本周五郎氏(故人)に関しても、実はかつて直木賞受賞作家になった ものの、それを辞退した経緯がある。 決して仲が悪い同士ではないのだが、だからといって、おてて繋いでランランラン というわけにもいかないのだ。 では、直木賞初選出が新潮社であった場合、将来直木賞作家になれる確率を示す。 過去20年間、新潮社初選出該当数は全部で17。 うち初選出で直木賞になったのは、 乃南アサ氏、ねじめ正一氏 の2人。 また景山民夫氏は初選出ののちに角川書店で直木賞を受賞。 するとあとの14はその後選ばれもしないか、選ばれても候補作の域を出ない ということになる。 初選出が新潮社の場合、直木賞作家になれない確率 82、3% (該当は17つ) 他の出版社も確認しておく。すべて過去20年間である。 初選出が角川書店の場合  同じく 85.7 % (該当は7つ) 初選出が幻冬舎の場合   同じく 100 %  (該当は3つのみ) 初選出が集英社の場合   同じく 58.3%  (該当は12) 初選出が講談社の場合   同じく 33.3% (該当は18) ちなみに 初選出が文藝春秋の場合  同じく 43.8% (該当は32)  伊坂幸太郎氏が直木賞作家になるにはベルリンの壁なみの厚い壁があるのだ。 こうなってくると、他の作家に色気が出てしまう。 姫野カオルコ氏に◎というのはちょっと思い切った印なのだが、 彼女の選出歴を見ると 117回 文藝春秋 「受難」 130回 角川書店 「ツ、イ、ラ、ク」 134回 ??? 文藝春秋社主催の直木賞が候補作として文藝春秋から出す場合、 それは2度までというデータがある。つまり、姫野氏の今作品は 2年半ぶりの作品。しかもそれは文藝春秋から出版された。 あまり本作品が話題になっていないのは宣伝効果の問題もあるかもしれないが、 データから考えると、タイミングは今回にある。ただし、「ハルカ・エイティ」 で選出され、受賞できなかった場合、文藝春秋はもう面倒を見ないだろう。 その意味では危険な◎である。個人的には今回は候補作を見送ってほしいとの 願いも実はある。 諸田玲子氏も選出されれば文藝春秋より2度目となる。 つまり受賞できるかできないかの瀬戸際である。 一方、東野圭吾氏、馳星周氏、黒川博行氏はみな、文藝春秋より2度選ばれながら、 受賞を逃している作家達だ。予想には入れておいたし、実績もあり選ばれる余地は あるが受賞にこぎつけるかどうかといえば、正直疑わしい。 そして新潮社から初選出を予想している畠中恵氏と梨木香歩氏。 今が旬のお二人だが、選出される条件がよくない。新潮社からの選出がよくない。 新潮社は、あくまでも何度も他の出版社から選出された結果として受賞がかなう 可能性が高いということを念頭に入れておかねばならないだろう。 話は伊坂幸太郎氏の選出歴に戻る。 よく見ると、131回と132回に連続入選している。 次回、この連続入選がどれほどのパワーを占めるのか、そして 連続入選は受賞に直結するのかを検証する。 なぜなら、11月末の締め切り直前に有望な若手作家の駆け込み出版 があったからだ。  三崎亜記氏、古川日出男氏である。 前回も2人は入選している。どうやら調査が必要だ。
 

takam16の本の棚
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不具合解消のため、ぼちぼち書いていきます。
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う~む。

どうも職場というところは"信者"が多いなぁと便座に腰を掛けながら腕組みを
している自分がいる。

ここはオフィスのトイレの中だ。しかし
偶然この文をご覧になった方々、そしてお食事中の方々も心配はいらない。
ブログは臭いを出すほど進化はしない。安心してお読みくだされ。

それにしてもである。
"信者"にもいろいろあり、物言いに語弊があってはならないのでちゃんと
説明するのだが、

どうも職場には、特に我が職場には
「織田信長"信者"」
が増殖しているように思えてならない。

急に怒鳴り出す輩がいるかと思ったら
今度はあのバイト野郎をすぐクビにしろと
わめき出す輩がいる。

仕事の後は皆を強制的に飲みに誘う上司は
「がははははは!」
と宴のさなかに大笑いし、周囲の部下はしゃれにならないぐらい
縮こまっている。

感情の起伏は極めて激しく、泣きはせずとも怒りと笑いは天下一品。
そんな男は大の相撲好き。仕事のさなかに相撲をやれと言われるのでは
ないかとみながビクビクしている。

(注) 織田信長は大の相撲好きであった


職場とは、まさに信長率いる戦国時代の世の中か? 
と錯覚を起こす近頃のtakam16。
穏やかな物言いが特徴(と勝手に思っている)の自分に対し、

「そんなことでは生き残れぬぞ!!」

と威圧的な上司。いつ刃物が出てくるのか気が気でない。

だから便座で腕を組んでいるのである。
ちなみに紙はしっかりと設置されていることは確認済みだ。

(注)以前、紙がなくて往生した経験がある

この職場の連中を魅了する織田信長。
魅了の理由が経済政策、例えば楽市楽座などの商業自由化や
家臣をいかにうまく働かせるかといった人心掌握面、あるいは
即決・即断力であるならまだわかる。

気に入らないからあやつをやめさせろとか、
わしを誰だと思っているのじゃ
とどこの時代劇を真似たかはわからないような口調で部下を
混乱させるのはやめていただきたいし、だいたい尾張国(今の愛知県)
の生まれの信長を真似るなら名古屋弁でしゃべるのがよろしかろうに、
関西弁でどやすから滑稽かつ末恐ろしくなる。

職場の信長"信者"はどこかを勘違いしている。これでは"患者"だ。
政策よりも性格を真似てははなはだ迷惑だ。
しっかりしてもらいたい。


しかし、今の信長"信者""信者"になる過程には
織田信長という人物についての物語や言い伝えを読み、学ぶ必要がある。
そして信長をテーマにした一連の物語もあらゆる過去の織田信長にまつわる
資料や史料を精読せねばならないのだ。
そして、必ず小説の書き手達が織田信長という400年以上も前の人物を
知るために避けて通れない史料というものがあるのだ。

「信長公記」。

織田信長という戦国武将のそばに仕えた人物が記した一級史料である。
それが、江戸、明治、大正、昭和、そして平成と受け継がれ、
残されてきたのだ。

その作者を太田牛一(おおたぎゅういち)という。
ある1人の一生涯を書き綴るためには、心底からその人物に惚れこまねば
書けるはずがない。それは未来永劫のものだろう。

太田牛一もその1人である。その物書き太田を主人公にした歴史ミステリー
が今、ちまたで人気を誇っている。

「信長の棺」。 ちょっと前のことだが、小泉純一郎が本書の愛読者だと紹介 されたことをきっかけに今年5月に発売されたにもかかわらず、 まもなく年も締めくくりにさしかかるこの時期にまで人気が及んでいる。 問題は小泉なのか、信長なのか、あるいは純粋に本書の中身なのか。 補足しておくが、この段階まで便座で腕組みをしているわけではないことを ご理解いただきたい。さもなくば、とんだ長居となってしまい、 我慢しきれない連中がにっちもさっちもいかないことになる。 トイレからはもう離れてくれ。 話を戻そう。 本書は始まりから慌てふためいている。 本能寺の変(1582年6月2日)を耳にした信長の側近達がバタバタするところ からが物語のスタートだ。 居城の安土城(場所は今の滋賀県琵琶湖東南の辺。事件後、すぐに焼き尽くされ今はない) の下で信長の死の知らせにジタバタする家臣達。 もしもシブガキ隊がこの時代に存在すれば 「ジタバタするなよ!~♪」 と絶妙のアドバイスに一息つくこともあるのだが、そのようなフレーズの ない時代に気休めは無用だ。信長を襲った明智光秀の軍勢が今にも攻めて こようとするのだ。さらに頂点に立ちうる人物を突然失ったことへの不安。 主人公の太田もその時安土にいた。 彼は当時、信長の側に仕え、安土城で主に信長が家臣に送る文書を管理し、 そして家臣から信長に届けられる書類を管理していた。 公文書、密書の両方である。 本能寺へ旅立つ前、信長は太田に重要な任務を命じていた。 「指令があればすぐに届けろ!」 それは信長から預かった5つの木箱。それは太田のみが知る木箱。 安土城でその指令待ちをしていた太田。 そこに信長が死んだとの知らせ。 関連文書は隠さねばならないし、第一に5つの木箱をどうにかせねば ならない。秘密事だからだ。 この逼迫した書き出しでつかみはOKである。 読者はその後の太田の生き方、それを通じておまけに5つの木箱の 謎にも迫れる楽しみがある。 太田の生き方は本能寺の変の前と後とで大きく変わる。 太田は自身、日記を付けていた。 信長の死後、 その日記を基に信長様の事績を伝記風に纏(まと)めてみよう!! と思い立つ。 お側に仕えて幾十年。最初は足軽衆として「弓」で武功をたてた。 その後、信長の「真の」お側で働くことになった太田は信長という 人物を間近で確認でき、そして冷徹な面がありながらも、それらを 一掃してしまう彼のカリスマ性に心底惚れ込んだゆえに信長伝を書こう と決意したのだ。織田信長という人物への敬愛。これこそが のちの世に伝えられることになった「信長公記」執筆の原点 が本書を通じて味わえる。 文中に度々出てくる 「信長さま」がまさにそうだ。 そしてもうひとつ。敬愛する「信長さま」の偉大さを後世に伝える ことで、太田牛一の名が末代まで残るという考え方。作家なら誰もが 持ちたい理想。現実に太田の名は末代まで残っている。 太田牛一、してやったり!! しかしながら、惚れた人物を書くとどうしても良いことばかりを書き連ねる ことになる。太田本人はそれで大満足なのだが、それを許さぬ者がいた。 のちの権力者、豊臣秀吉である。本書にももちろん秀吉は登場する。 しかし信長に対して死んでからも「信長さま」と語る一方で、 豊臣秀吉は物語中においては現存するにもかかわらず、心の中で 「この男」 「秀吉」 「太閤め」 実際、太田は信長亡きあと、秀吉のもとに仕えるのだが、 その「秀吉」が太田が執筆する信長伝に横槍を入れるのだ。 そして、訂正、改変をさせようとするのだ。 その太田と秀吉のやりとりも面白い。 またそういう気に入らぬ権力者のパワーハラスメントに対抗した 太田のしかけ。それはこの世に現存する「信長公記」につながっている。 歴史事典の「信長公記」を索引から探しぜひ読んでみてほしい。 歴史をミステリー仕立てにした場合、日本史において最も盛んなのは 近年、織田信長にまつわる話題である。 なかでも2つの出来事には謎が多い。   ① 信長が今川義元を桶狭間(今の愛知県は中京競馬場のあるあたり)で   奇襲攻撃した1560年の戦 ② 本能寺の変にいたる経緯とその前後    ・明智光秀の計画    ・信長の死体    ・豊臣秀吉の本能寺の変とのかかわり 物語において、太田牛一の「信長公記」に秀吉の横槍があったと述べたが、 その横槍を織田信長にまつわる上記の謎にからめている点は注目だ。 最もホットでミステリアスなネタが本書「信長の棺」にしっかり収まっている。 それはまるで棺の中に一連の物語が収められていると言い換えてもよさそうだ。 この物語がイコール信長の謎がテーマだからだ。 そしてすべてをひっくるめてタイトルが「信長の棺」となっている。 本自体が棺というわけだろうか。 ならば実に面白いではないか。 作家で直木賞選考委員の津本陽氏も織田信長にほれ込む1人である。 週間ブックレビューにおいてゲストで出演した氏は、信長について 「400年以上も前の人物とは思えない。」 と語った。信長があと10年生きていたならば、ヨーロッパよりはやく 産業革命を行っていたかもしれない彼の先を見る目。 そういう果たせなかった彼の理想を描いた作品が
である。人並み外れた猜疑心と攻撃性が特徴の信長の夢は海外進出で あることを最終目的に書かれた本書。 こちらはキリスト教布教のために日本を訪れた宣教師 ルイス・フロイスによる「日本史」 からヒントを得ているか。 1500年代後半から1600年代はポルトガル、そしてスペインの 勢いが絶大であった。当時、キリスト教の布教許可を与えた信長は ルイス・フロイス、ヴァリニャーノ、オルガンティーノといった布教のため に訪れた人物を通じて世界の情勢を把握しようとしていた。 その結果導き出した海外進出構想とは ・中国大陸(当時は明)は征服せずに交易で利益を得る ・ルソン島(当時はスペインが島を牛耳る)を制圧し、    アカプルコ(現メキシコ下、当時スペイン領)を攻める ・ルソン島制圧後、さらに南の現インドネシアの島々から西を目指す (注)フロイス日本史では中国大陸は征服構想となっている というもの。しかし、その道のりを目指したくても目指せない理由があった。 ・自身に歯向かう戦国武将の存在 ・信仰により結束力を強めた石山本願寺と一向宗徒 ・信長の性格とは正反対の保守的な天皇・朝廷の存在 これらの苦悩ぶりを本書で主に描くことで、理想や夢というものをよりいっそう 膨らませる。こちらはミステリーではなく、また文中には時代考証も多く、 会話文もおそらく当時に近いものを再現しようとするために、「信長の棺」 とはその趣は異なる。 よって「覇王の夢」においては、明智光秀の謀反話についてはたったの一行で 済ませている。信長が本能寺において 「茶会を開くため、馬廻り衆を少なくした。」と。それが「命取り」と。 この点、「信長の棺」は本能寺の変は物語のクライマックスだ。たっぷり 書かれている。 また、「馬廻り衆を少なくした」原因を異なった視点 で描いている。 生きた信長の理想を描いた「覇王の夢」と 死んだ信長の真相を描いた「信長の棺」とでは 同じ人物を描こうにもこうも違った話ができあがる。 さて、「信長の棺」の著者である加藤廣(かとう・ひろし)氏は、今年75歳であるが 本作が実はデビュー作である。元来は経営に携わる仕事で名を世間に知らしめている。 デビュー作に信長話を持ってきたということは、彼も信長の"信者"かと思いきや、 実際はこれがそうでもないのである。 著者には常々1つの疑問があったようだ。 歴史街道12月号での著者の話によると 「小説家として信長を褒めすぎることはかえって信長の実像を見誤ることになりは  しないかと危惧している」 という考えが根底にある。 つまりあまりにも世間に美化されすぎた信長像にちょっと待ったぁぁぁ!! と歯止めをかけようとした。 だからこそ信長への敬愛に満ち満ちた太田牛一を主人公にした。 そして愛する信長をどうしても美化して書こうとする太田の執筆に いろいろと難癖をつける輩を登場させている。 それが秀吉であったり○○であったり...... 本書を読み進めるにあたり、著者の姿勢はぜひ頭に置いていただきたい。 織田信長の偉大さは、 時代をまたにかけて、同じ史料を通じているにもかかわらず、 あらゆる光の照らし方を各作家がしながらも、織田信長をうまく引き出すことが 可能である点だ。 よって両書の併読をお薦めする。 先に"生きた信長"「覇王の夢」で彼の苦悩と理想をたっぷり堪能しよう。 その後、"死んだ信長"「信長の棺」で歴史ミステリーの醍醐味を味わおう。 また、信長が好きな津本陽氏と、信長に懐疑的な加藤廣氏という 意味でも面白い。 するとどうだ。信長まがいの上司がアホらしく見える。 芝居じみた構想しか持たぬくせに、信長の仮面をかぶった上司が腐って見える。 ときはいま あめがしたしる さつきかな この連歌は明智光秀が織田信長を討つ直前の決意の一句という説の一方で、 もう少し前に謀反に迷っている明智の悩みの一句という説もある。 先日、上司に業務の報告をした。すると上司が一言、 「あいわかった! 下がってよいぞ!」 家に帰ってじっくり考えた。便座に座りながらである。 あくる朝、 ときはいま あめがしたしる しわすかな 解釈は、前者の決意の一句としてほしい。 出勤じゃあ~、出勤じゃあぁぁぁぁぁぁ!! しかし待て。師走まであと2日。しかも雨が降らねば反旗をひるがえせない。 従って、大人しく出勤した。 ボーナスGETのためだ。 されど信長、たかが信長である。 だらしのない明智ことtakam16なことで.....。 最後になるが、本書が出版後半年経っても人気の秘密。 それは小泉純一郎の愛読も理由のひとつかもしれない。 彼の名を出すことで本書の知名度が高くなったことは事実である。 しかしながら、小泉氏を抜きにしても、 この75歳の新人作家、並々ならぬ努力家だ。莫大な史料を読みあさり、 歴史の謎に迫ろうとした著者。しかもそれをミステリー仕立てにして 読者の心をかゆくさせる。 我々だって信長の入った棺 をちょっと覗いて見たくなる。 くすぐりどころがまさにピンポイントである点は狙いも仕掛けも抜群だ。 信長とはいかなる男か。 信長はどんな死に方をしたのか。 信長とはいったいなんなのか。 さあ、「棺」を開けに本屋へ行こう。 ときはいま ふゆにおりたつ てんしかな [解釈] 書店は今の季節同様冬の時代である。そんな中、75歳の新人作家が 放った本書は読者の心を温め、同時に書店の売上を伸ばす天使のような 存在なのかもしれない。たとえそれがその場しのぎであったとしても。 皆の者、今こそ書店へ足を運ぶ時が来た。入店じゃぁ、入店じゃぁ~!! (注1)書店様はくれぐれもこの記事を読んで買いに来られるお客様に対し、   品切れなどなさらぬようご注意下さいませ。さもなくば、お客様は   確実にあなたがたの書店に足を運ばなくなる恐れがあります。 (注2)読者様はくれぐれもこの記事を読んで書店に足を運び、品切れだったと   しても、その書店を見捨てないで下さいませ。こんな記事が発信された   からといって書店が本の入荷をするわけでもありませぬので。 (注3)読者様はたとえ本書を購入し、読書をした結果、つまらないものであった    としても、takam16を叱らないで下さいませ。さもなくば、気が    小さいtakam16のこと。発信する字が今までの半分の大きさになって    しまいます。気の小ささをそのまま字の小ささでごまかしてしまいかねませ    ぬので、どうか広い心でお願いいたします。 (注4)歴史音痴を自称する方は本作品は決して触れてはなりません。    さもなくば、手がかぶれます。(乾笑) 
 

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直木賞の選考過程を改めて確認しておこう。

①関係者350人によるアンケート調査
↓
②文藝春秋社の社員数十名が下読み&議論し、評価し、候補作決定
↓
③海千山千の選考委員による2時間の議論・話し合いで受賞作決定



takam16の直木賞候補作予想

作品名 作家名 出版社 選出回数
魔王 伊坂幸太郎 講談社 2回ぶり4度目
死神の精度 伊坂幸太郎 文藝春秋 2回ぶり4度目
蒲公英草紙―常野物語 恩田陸 集英社 2回連続2度目
ネクロポリス 恩田陸 朝日新聞社 2回連続2度目
ハルカ・エイティ 姫野カオルコ 文藝春秋 4回ぶり3度目
はなうた日和 山本幸久 集英社 初選出
凸凹デイズ 山本幸久 文藝春秋 初選出
× こんちき あくじゃれ瓢六 諸田玲子 文藝春秋 8回ぶり2度目
おまけのこ 畠中恵 新潮社 初選出
沼地のある森を抜けて 梨木香歩 新潮社 初選出
× でいごの花の下に 池永陽 集英社 初選出
一枚摺屋 城野隆 文藝春秋 初選出
遠くて浅い海 ヒキタクニオ 文藝春秋 初選出
暗礁 黒川博行 幻冬舎 8回ぶり5度目
× 容疑者Xの献身 東野圭吾 文藝春秋 3回ぶり6度目
楽園の眠り 馳星周 徳間書店 4回ぶり5度目
女王様と私 歌野晶午 角川書店 初選出
× ニート 絲山秋子 角川書店 2回連続2度目
さよならバースディ 荻原浩 集英社 初選出
ポセイドンの涙 安東能明 幻冬舎 初選出
印の目安 ◎  ... 候補作濃厚 ▲  ... 可能性あり △  ... 一考の余地あり ×  ... 相対的に可能性低い 無印 ... 気になる程度 注  ... 同一作者のもう一方の作品に選出の可能性があり 前回の記事 において、次期直木賞の候補に 挙がりそうな20作品をこちらで勝手に選出した。 もちろん期限は11月30日までであり、末に新たな作品が出版されることは十分予想される。 予想の変更・加筆・修正も行わねばならない事態も起きうるだろう。 あくまでも参考程度の軽い気持ちで読んでいただければ幸いである。 これより以降は表を元に話を進めていく次第である。 見る限り、初選出なる作品が2分の1も占めている。すると、大いに勘に頼った 予想だなと言う意見があってしかるべきだ。 よって、候補作になりえる条件のようなものはあるのかというのが 今日のお題である。 134回直木賞の定義を確認する。 ・2005年6月~11月の期間中に新聞・雑誌・書籍にて発表された作品 ・ジャンルは大衆文学やエンターテインメント 2番目をもう少し噛み砕くなら、「読者に向けて書かれた作品」と言えるだろう。 一方で別路線の芥川賞の候補対象は純文学である。 純文学を噛み砕くなら、「作者が書きたいように書いた作品」と 位置づけるのがよいだろう。 つまり、どのように書いたら読者を楽しませることができるか、読者の心をとりこに するか、その視点で書かれていることが直木賞候補作には重要なのである。 次に、直木賞は最終選考委員達いわく、「新人作家のための賞」である。 しかし、新人とはいえ、デビュー作というわけにもいくまい。 そこで数作品かは商業出版されていることが原則である。 注)芥川賞は商業出版経験がなくとも候補作に選ばれる。   これが本当の新人作家のための賞!? または選ばれた作品が初の商業出版作であってもその作品が別の文学賞を 受賞していたり、候補作となっていることがポイントである。 例えば、表の6、7段目の山本幸久氏の作品を追ってみると、 2003年12月 「笑う招き猫」   集英社   ☆小説すばる新人賞 2005年7月  「はなうた日和」  集英社   2005年10月 「 凸凹デイズ 」  文藝春秋 2005年11月 「 幸福ロケット 」 ポプラ社 と出版されている。ポイントは「小説すばる新人賞」。 直木賞候補作となる方法のひとつに文学新人賞受賞の肩書きを持つ作家が非常に多い。 その最右翼が「小説すばる新人賞(主催は集英社)」である。 過去には 三崎亜記 熊谷達也 荻原浩 佐藤賢一 村山由佳 篠田節子 池永陽 と言った作家が受賞している。挙げた作家は池永陽、荻原浩以外は皆、 のちに直木賞候補となっており、実際に直木賞作家となった。 表に荻原浩や池永陽の名が入っている理由の1つはこれである。 「吉川英治文学新人賞受賞」受賞作家も、のちに直木賞候補に選ばれやすい。 恩田陸 伊坂幸太郎 福井晴敏 諸田玲子 宇江佐真理 山本文緒 真保裕一 浅田次郎 馳星周 宮部みゆき など見知った名前の連続だ。彼らものちに直木賞候補となっている。 文学賞にもレベルやランクが存在する。多くがそれらのステップを乗り越え、 次のステップへとやってくる。 上の表の初選出でかつ印のついている作家・作品はその一定のステップを 経ている。 そういうステップレースのような文学賞や新人賞はこの他にも存在する。 話を山本幸久氏に戻すと、受賞したという前提で、彼の以下の著作の 中から次期直木賞候補の対象になるのは、下の3つ。 2003年12月 「笑う招き猫」   集英社   ☆小説すばる新人賞 2005年7月  「はなうた日和」  集英社   2005年10月 「 凸凹デイズ 」  文藝春秋 2005年11月 「 幸福ロケット 」 ポプラ社 まずポプラ社の「 幸福ロケット 」は消える。 ポプラ社からの選出経験例がないからである。 このように出版社という理由でお呼びのかからない作品は実は非常に多い。 よって、「はなうた日和」「凸凹デイズ 」の2作品のいずれかが 候補作にふさわしく、あとはどちらが候補になるかは一次、二次選考委員の問題である。 自身の予想が◎や▲ではなく、△なのは、選ばれるには山本氏はやや経験不足 の感が否めないからだ。 以前にもお話したが、直木賞は主催が(財)日本文学振興会というところだが、これは 文藝春秋社が大きく関わっている。よって、文藝春秋の出版物が他社に優先される 傾向が確実に存在する。過去20年間で1度も候補作から外れたことはなく、 40回中(直木賞は1年に2度ある)半分以上は実際に文藝春秋作品が受賞している。 まあ身内に取らしたいという気持ちは人間の選ぶことだ。自然の成り行きであろう。 直木賞とはそういうものだと念頭に入れておけばよい。 そこで次に紹介するデータは、 「文藝春秋の出版作で直木賞を受賞した作家が初めて候補作に選ばれた時の出版社 はどこ?」 である。 しかしその前に、文藝春秋から初めて選ばれたとしても、その後お呼びがかからない 作家が多々いることは念頭に置いていただきたい。 その上で以下に示すと 133回 朱川湊人     文藝春秋 132回 角田光代     文藝春秋 131回 奥田英郎     講談社 131回 熊谷達也     ☆ 129回 村山由佳     ☆ 127回 乙川優三郎    講談社 126回 山本一力     ☆ 125回 藤田宜永     文藝春秋 124回 山本文緒     ☆ 122回 なかにし礼    文藝春秋 119回 車谷長吉     ☆ 113回 赤瀬川隼     文藝春秋 111回 中村彰彦     新人物往来社 111回 海老沢泰久    新潮社 109回 北原亞以子    ☆ 107回 伊集院静     ☆ 106回 高橋義夫     講談社 106回 高橋克彦     ☆ 104回 古川薫      雑誌「午後」 102回 星川清司     ☆ 101回 笹倉明      文藝春秋 100回 藤堂志津子    講談社  99回 西木正明     角川書店  97回 白石一郎     文藝春秋  94回 林真理子     角川書店 (データは過去20年間) 25例の文藝春秋社からの受賞作家(左)と、彼らが初選出された時の出版社(右) である。☆は、初選出でいきなりの受賞である。 ☆       9回 文藝春秋    7回 講談社     4回 角川書店    2回 新潮社     1回 新人物往来社  1回 雑誌「午後」  1回 また、☆の初選出でいきなり受賞した例を過去20年間、出版社別に表すと 文藝春秋    9回 講談社     4回 早川書房    3回 新潮社     2回 集英社     2回 角川書店    1回 マガジンハウス 1回 まずは他の出版社についてだが、 講談社が4回と多いのは、 こちら の記事 を参考にしてもらいたい。 注目は早川書房である。 20年間では過去3人。 114回 小池真理子 「花」 109回 高村薫   「マークスの山」 102回 原尞    「私が殺した少女」 早川書房での選出はこの3つしかないが、3つとも初選出でいきなりの直木賞受賞である。 しかし、最近10年近く選ばれていないのは気になる。 そして、やはり身内の文藝春秋。いきなりでの直木賞は9回でトップ。 初選出が文藝春秋で、受賞も文藝春秋の数も7回とトップ。 さらに、文藝春秋がいかに他社に冷たいかを表す資料を 次回用意したい。このデータはまさに驚愕である。
自身のPCに欠陥があるようで
修復あるいは買い替えが必要なために
時間がかかります。
読者の方々、
しばらく更新から離れます。
お待ちいただければと存じます。

おっと、バレるぜ、ではしばしお別れ。

会社のPCより。takam16